チム・チム・チェリーの煙突掃除夫は、この上なく幸運ではない
メリーポピンズというミュージカルを見たことがあります。
その中で、煙突掃除人が出てきて、歌をうたいます。
チム・チムニー
チム・チムニー
チム・チム・チェリー
煙突掃除はこの上なく幸運
いつも灰と煙まみれだけど
この世界でこんなに幸せな奴はいない
ちなみに、「チムニー」は煙突という意味です。
この歌を初めてテレビで聞いたときに、「いや、いや、いや、違うだろーっ!」と厚労省出身の元国会議員のように叫んでしまいました。
その昔、ロンドンの煙突掃除は子どもの仕事で、いつも煤にまみれた汚い姿をしており、最下層の仕事とされていました。
煙突掃除の少年は、せまい煙突をよじ登って、煙突の中の煤を掻き落として掃除しました。
煤(すす)は摩擦で皮膚にすり込まれました。
その結果、陰嚢とその付近にがんができたのです。
こうした煙突掃除人に陰嚢がんが発生することを最初に報告したのは、ロンドンの外科医パーシバル・ポット卿です。
ポット卿は、煙突掃除人を次のように書いています。
小さな年齢からしばしば非常に残酷な取り扱いを受け、ほとんど寒さと飢えで餓死した。
彼らはせまい、時には熱い煙突におし入り、そこで傷つき、やけどをし、そしてほとんどが窒息した。
そして彼らが思春期になって、いやな、いたみのある致命的な病気に特にかかり易くなった。
煙突掃除人については、当局も規制に乗り出しました。
1788年に、法律により8歳以下の少年は煙突掃除人の徒弟になることはできないこととされました。
1875年には、煙突掃除に免許制が導入され、警察が監督することになりました。
警察が監督するという実効性のある規制ができたことにより、ようやく陰嚢がんは減っていきます。
煙突掃除人に陰嚢がんが多発すると発表したポット卿の論文に注目したひとりの日本人がいました。
東京帝国大学の病理学の教授の山極勝三郎教授です。
煤が皮膚にくっついて陰嚢がんを起こすならば、煤を動物の皮膚に塗りつければ人工的にがんを発生させることができると考えました。
獣医師の市川厚一助手とともに、ウサギの耳にコールタールを塗り続ける実験を開始しました。
実験開始から3年後の1915年、ついにウサギの耳にがんが発生しました。
このウサギの耳実験での人工発がんの成功は、「日本人の忍耐」と呼ばれて賞賛されました。
ノーベル賞候補にも挙げられました。
山極教授の俳句が残っています。
癌できつ 意気昂然と 二歩三歩
兎耳見せつ 鼻高々と 市川氏
山極教授と市川助手は、森田伸吾さんの漫画「栄光なき天才たち」に描かれております。
漫画では、デンマークのコペンハーゲン大学のフィビゲル教授と対比されています。
フィビゲルは、寄生虫の一種である線虫で胃がんが発生させることができると発表し、それが世界初の人工的な発がんだとして、ノーベル賞を受賞しました。
現在では、フィビゲルの寄生虫発がん説は誤りだったと否定され、ノーベル賞の黒歴史とされています。
一方、山極教授と市川助手の功績は、今でも不朽のままです。
本当に残念でした。
長野県上田市にある上田城に、山極教授の胸像があります。
「六文銭」の旗印の真田幸村や真田十勇士で有名な城です。
うさぎの耳にコールタールを塗る市川助手の像を隣に造ると、相乗効果があっていいかもしれません。
上田城で、チムチムチェリーを合唱してYouTubeで世界に発信すれば、世界のがん研究者が上田市に集まりそうです。