フィラリアは、夜になって蚊が出てくる時間に合わせて、血液中に出現する
延岡市の北川に、西南戦争のときに西郷隆盛が泊まった児玉熊四郎邸があります。
NHK大河ドラマ「西郷どん」の原作者である林真理子さんも取材に来ています。
ここで薩摩軍の幹部は軍議を開き、これ以降の部隊編成を解散しました。
これまで薩摩軍とともに戦ってきた各藩の諸隊の多くは、政府軍に投降することになります。
西郷は、日本でたた一つしかない陸軍大将の制服を児玉邸の庭で焼きました。
庭に、医師で俳人の水原秋桜子の句碑があります。
大将服 焼きしはここか 鴨脚草(ゆきのした)
高校の先輩が「みずはら・あきさくらこ」と読んで先生に叱られました。
正しくは「みずはら・しゅうおうし」。ちなみに男性です。
薩摩軍は、五万を超える政府軍に包囲されます。
夜はかがり火がたかれて、まるで星空のようだったと言われています。
不思議なことに政府軍は、児玉邸に向かって砲撃はしませんでした。
近くに天孫降臨してきたニニギノミコトの御陵墓があり、これに向かって大砲を撃つことは、天皇家に無礼となることから政府軍は控えていたと言われています。
薩摩軍は行動を起こします。
明治10年8月17日の夜、山道に詳しい地元の村人を案内人にやとって、可愛岳に向かって進軍を開始しました。
可愛岳には、政府軍の部隊司令部がありました。
翌未明に、薩摩軍は、その中枢を急襲したのです。
関ヶ原の島津軍が、徳川家康のいる本陣めがけて突撃した例と似たような戦法でした。
予想していなかった薩摩軍の奇襲攻撃を受けて、政府軍は大混乱となりました。
この隙に薩摩軍は、三田井(高千穂)の方に逃れることができ、食料を奪って諸塚村から美郷町を通って南下します。
目指すは故郷鹿児島です。
薩摩軍は最終的に鹿児島に到着し、城山にこもって籠城しました。
9月24日の早朝に、政府軍による最後の総攻撃が行われ、西郷隆盛や桐野利明ら幹部が戦死して、西南戦争は終結しました。
市ヶ谷にある防衛省防衛研究所に、このときの電報が残されています。
西郷ら幹部の死を確認したという報告です。
西郷の死体は、首がありませんでしたが、陰嚢水腫と若い頃に受けた腕の傷から特定することができました。
首は別の場所で見つかり、政府軍の司令官の山県有朋まで届けられました。
西郷を慕っていた山県は涙を流しています。
西郷は、島津久光の逆鱗に触れ、二度も遠島の刑に処せられて、島でフィラリアに感染したようです。
フィラリアは蚊が媒介する寄生虫で、リンパ管の中に入り込んで浮腫を起こします。
長い年月を経過すると、巨大な水腫を形成することがあります。
西郷は陰嚢水腫のために、馬に乗れなかったと言われています。
フィラリアは、九州・四国・沖縄・南西諸島の風土病として蔓延していました。
フィラリアの特徴は、昼間は体内の組織に隠れていますが、夜になって蚊が出てくる時間になると血液中に出現するのです。
その性格を利用して、夜に映画を見せるといって住民に公民館に集まってもらって、採血して検鏡し、フィラリアが確認された人に薬を飲ませて駆逐させるという方法がとられました。
こうした地道な取り組みにより、日本からフィラリアを根絶させることができました。
葛飾北斎の漫画には、巨大な陰嚢を二人がかりで抱える絵があります。
こうした公衆衛生的な記録が残されている日本はすごいと思います。
北川の児玉邸の庭には、九月には紅白の彼岸花が咲きます。
西郷隆盛は、彼岸花が好きだったそうです。