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ヒポクラテスは、プラタナスの木陰で、学生たちに医学を教えた

ヒポクラテスが書いた「空気、水、場所について」という本があります。
実は、地域医療を考えるにあって、極めて重要な内容が書かれている文献です。

ヒポクラテスは、風土病(endemic)と流行病(epidemic)を区別しました。
地方に常在する「風土病」と、ある時期に激しく発生する「流行病」という言葉を使い分けています。

例えば、宮崎県に多い重症熱性血小板減少症(SFTS)は風土病、冬に全国に爆発的に発生するインフルエンザは流行病です。
また、その地方で流行する病気は、気候、土、水、生活様式、栄養が本質的な要因である、と総括しました。

約2000年も前から、こうした疫学的な見方をしていたことは、おどろくべきことです。
さすが、世界中で「医聖」と言われるだけの偉人だと思います。

宮崎大学医学部と自治医科大には、ヒポクラテスの木があります。
ギリシャのコス島にあるプラタナスの木の種を、日本に移植して育った木です。
ヒポクラテスは、プラタナスの木陰で、学生たちに医学を教えたと言われています。

宮崎大学医学部のヒポクラテスの木

古代ギリシャが統治する領土や植民地は、広大でした。
現在のギリシャ本土とエーゲ海沿岸を越え、東西に広がっていました。
トラキア、黒海沿岸、イタリアとシチリア島、スペインやゴールにまで植民地がもうけられています。

ヒポクラテスは、未開の地を開拓する前には、まず医師にその場所の適否を尋ね、また土質を詳しく調査すべし、と言っております。
住まいをもうける場所は、低湿地帯は有害であるので避けて、日光の当たる高い地域に建てて、健康な風を通すのが最善だ、としています。

さらにヒポクラテスは、医師が未知の土地で診療する際の助言もしました。

古代ギリシャの医師は、巡歴をする職業でした。
小さい町では、巡回してきた医師が医療を提供しました。今で言えば、へき地巡回診療に似ています。

町に入ってきた医師は、医療が必要かどうかを、家の扉をたたいて営業活動をしました。
仕事が多いと判断した場合は、町に診療所を開設してしばらく定住したのです。
古代ギリシャの医師は、「とびこみ営業職」でした。

一方、大きな町は、「公務員医師」を常置しようとしました。
紀元前6世紀頃には、各都市はそうした「常勤医」を任命し始めています。

医師の年俸は、税金でまかないました。
紀元前5世紀末頃には、こうした各都市の常勤医師確保政策は定着します。
各都市に雇われた公務員医師は、仕事が多くないときも、収入は保障されていました。

公務員医師の多くは、貧しい仕事に奉仕し、貧富の隔てなく自由人と奴隷の区別もしませんでした。
流行病が蔓延したときは、給料を度外視して働きました。
まさに「ヒポクラテスの誓い」を実践していたのです。

地域の人々にとって、「新人医師」は大切な存在でした。
また、新人医師にとっても、地域の人々から速やかに信頼を得る必要がありました。

患者に予後を伝え、その予後が正しいと判れば、地域での評判が確立したのです。
ヒポクラテスの本は、新たに地域に赴任する医師のための「地域医療マニュアル」の役割を果たしたのです。

自治医大のヒポクラテスの木

先日、宮崎観光ホテルで、宮崎県で臨床研修を行う新人医師が集まり、スタートアップセミナーと歓迎会がありました。
その中で、「内科レジデントの鉄則」、「ERポケットブック」などすぐに役に立つ本が紹介されていました。

すぐに役に立つ本は、すぐに役に立たなくなります。
今は役に立たない本でも、将来に役に立つ本もあります。

ヒポクラテスの「空気、水、場所について」は、岩波書店から出版されている文庫本「古い医術について」に収録されています。
プラタナスの木陰で、ヒポクラテスの本を読めば、なんとなく素敵な気がします。

椎葉中学校では給食のときに、昔のフォークソングの歌を流しておりました。
ほかにレコードが無かったのだと思いますが、なかなかいい歌がありました。

はしだのりひことシューベルツというグループの「風」が好きでした。

プラタナスの枯れ葉舞う 冬の道で
プラタナスの散る音に 振りかえる
帰っておいでよと 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ

「プラタナスとは、なんじゃろうか?」と椎葉村で想像しておりました。
なすびの一種ではないことは明らかでした。

作詞は、北山修さんで、京都府立医科大学を卒業した医師でした。
医学生時代に、ザ・フォーク・クルセダーズというグループで、「帰ってきたヨッパライ」を大ヒットさせた人です。

いつか会いたいと思ってたら、浪人して予備校に通っていたときに、産業医大の学園際に来た北山修さんの講演を聴きました。
プラタナスは、ずっと気になっていたのですが、まさかヒポクラテスと関係していたと知りませんでした。

北山修さんは、ヒポクラテスの木だと知っていて、「風」の歌詞に入れたのかしら?
いつかお会いすることがあったら、聞いてみたいです。

もし、私が椎葉村に家を建てたら、プラタナスを植えてその木陰で教育をしたいですね。
蝉しか集まらないかもしれませんが。

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