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事業仕分けで、ギャグを飛ばしてはいけない
私が厚生労働省の安全衛生部長のときに、建設業労働災害防止協会(建災防)の全国大会が横浜で開催されました。
場所は、横浜アリーナです。
楽屋の壁には、過去に公演した歌手やグループの名前が記されていました。
一番はじめは、ユーミン(松任谷由実さん)でした。
私はユーミンと同じ舞台で、講演をしたのです。
天井に四方面から見える大型モニターがあり、そこに私の姿が映し出されました。
「ついに、ユーミンに追いついてしまった」
感慨深いものがありました。
ちょっと違う気もしますが……。
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大会で基調講演をされたのは、マラソン界のレジェンドである瀬古利彦さんでした。
早稲田大学在学中から注目され、箱根駅伝から世界のマラソン界の頂点を目指した、我々世代では超有名人です。
延岡市にある旭化成の双子のランナー宗茂さん・宗猛さんの最大のライバルでした。
いつもゴール近くで、タンザニアのイカンガー選手を、無慈悲にも抜き去ってゴールテープを切りました。
瀬古さんは、母校の早稲田大学の駅伝部の監督として、箱根駅伝優勝を目指しました。
大会前の体調管理を徹底させました。
「年末は、刺身などの生ものは絶対に食べないように」と指示しました。
ところが親戚から差し入れがあり、冷蔵庫にあったものを食べてしまった選手がいました。
その選手は、元旦になって急に体調を崩し、瀬古監督は翌日の箱根駅伝に出場させるかどうか、迷いました。
「回復しました。大丈夫ですっ!」
選手は断言し、瀬古監督はその言葉を信じました。
「判った。とにかく前半は押さえて走れ。そして後半になって、俺の指示する地点になったら飛ばすんだぞ!」と重ねて指示をします。
しかし、当日は、その選手は前半から飛ばしまくって歴代最高記録を上回るハイペースで快走し、最後に失速してしまいました。
「会社で上司が指示を出しても、それが部下には全く伝わっていないことがある」
講演は、大変説得力がありました。
青山学院が強い理由については「相撲部屋のように原監督と奥さんがずっと選手と一緒に生活しているところが強さの秘訣」と解説をしておられました。
防衛省にいたときには、同じくマラソンランナーの増田明美さんの講演を聞いたことがあります。
駅伝の解説で、細かすぎる選手情報を盛り込むことが人気です。
ロサンゼルスオリンピックで途中でリタイヤした話に感動して、涙を禁じえませんでした。
偉大な選手は、講演が上手だと感じました。
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厚労省にいたときに、説明をするときには必ず笑いを取ることを目標にしていました。
民主党政権のときの「事業仕分け」で、説明をしたことがあります。
医政局の研究開発振興課長をしていた当時、製薬業界が治験をしやすい環境を整備するために、受け入れる大学病院などに対して補助金を出していました。
我が国から新薬を生み出すために、積極的な治験を呼びかけていました。
この治験の補助金が、事業仕分けの対象とされたのです。
この頃、大阪地検特捜部が事件をねつ造して連日ニュースになっていました。
一発を狙って、冒頭から飛ばしました。
「おはようございます。東京治験督促部です!」
挨拶をしたところ、シーンと凍り付いたような空気が。
おそるおそる周囲を見ると、仕分け人の唖然とした表情が……。
ううう。完全に外してしままったようでした。
しかし、仕分け人のひとりの方が気付いてくれました。
「今のはギャグだよね。東京地検特捜部をもじって言ったでしょう。面白い!」
これで場の空気が変わりました。
「最大の受益者たる製薬会社が、治験にかかる全費用を出すべきであり、国費から出すべきではない」
仕分け人が主張しました。
会場には、財務省の担当官が控えています。
「国費」という言葉を、通常の人が使うことはありません。
財務省が関与しているな、と直感しました。
「製薬会社がすべて丸抱えで医療機関に費用を出すと、当該医療機関で実施される治験の結果の信頼性が、損なわれる可能性があります」
フロントラインの薬剤師の資格を持った室長と課長補佐が、踏ん張りなんとか会議は乗り越えました。
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「課長、まずいわよ。このままだと治験の補助金は事業廃止と判定されてしまうわ」
夜9時頃に、ある国会議員から、私の携帯電話に連絡が入りました。
「そもそも仕分け人たちは、治験の重要性を全く理解していないの。実際に治験をしている病院の視察はできるかしら?」
急遽、都内のある大学病院にお願いして、現場の医師や治験コーディネーターから仕分け人の方々に、治験について説明をしてもらいました。
仕分け人の方々は、厚労省の役人の話を聞く耳はありませんでしたが、実際の場面で働く人の話はよく聞いていました。
積極的に、治験コーディネーターに質問をされていました。
この緊急視察が効を奏したのか、治験の補助金は一部カットという結果になりました。
事業の廃止は免れたのです。
後日、議員にお礼に言いに行きました。
「課長の最初のギャグがすべりすぎたので、医療界に身を置く私がなんとかしなければとあせったのよ」
笑顔の議員が、光り輝いて見えました。
まるでアマテラスのようでした。
事業仕分けで、ギャグを飛ばしてはいけない。
今後、事業仕分けが実施された場合の教訓にしていただければ幸いです。