病は、共同体がコストを負担すべき災難である
1942年の年末、英国である報告書が発売されます。
発売当日は冬の寒い日でした。
何千人もの人が並び、初版13万部はあっという間に完売しました。
英国の経済学者ベヴァリッジが委員長となった社会保障制度を提唱する報告書でした。
これが有名は「ベヴァリッジ報告書」です。
サブタイトルは「ゆりかごから墓場まで」。
「社会福祉国家をめざす英国」という報告書で、海を越えて敵国ドイツにも伝わり、ドイツ兵からうらやましがられたと言われています。
この中に、税金を財源にして一定額の医療給付制度を設けることが提言されていました。
保守党のチャーチルは、「おとぎ話」として冷淡に扱いました。
チャーチルから政権を奪った労働党のアトリー首相は、このベヴァリッジ報告書の提言の実行に着手します。
保健大臣にベヴァンを任命しました。
ベヴァンは、ウェールズ州の貧しい炭鉱町の出身で、13歳から炭鉱夫として働いた経験を持っていました。
ベヴァンの故郷では、多くの鉱夫が肺の病気や怪我に苦しんでおり、鉱山労働者が「鉱夫相互健康組合」をつくっていました。
この組合は、労働者が一定の金額を毎月出し合って基金を作り、そのお金で医療施設を建設し、医師や看護師を雇うという仕組みでした。
この組合でベヴァンが目のあたりにしたのは、労働者が助け合いながら、自分たちの健康と命を守ることでした。
保健大臣となったベヴァンは、炭鉱の健康組合の仕組みを英国全体に広げることが国民の健康と安心につながると確信しました。
1948年1月に「全ての国民が無料で最良の医療を受けることのできる国民保健サービス(NHS)を1948年に創設する」と発表します。
NHSは、National Health Service の頭文字です。
ベヴァンの計画は、英国の2600の病院の全てを国営化し、開業医を公務員にするというものでした。
医療費は、国の税金でまかなわれ、国民は国が提供する医療を無料で受けられることになります。
抵抗したのは、自由を奪われることを懸念した医師たちでした。
英国医師会は、会員投票を行い、NHS創設案の是非を問いました。
結果は、85%の医師がNHS反対でした。
一方、国民の85%がNHS創設を支持しました。
ベヴァンは、英国医師会幹部と交渉し、医師にNHSとの契約と並行して自由診療の患者も診ることも認めるなどの妥協案をまとめていきました。
第二次世界大戦中は、ドイツ軍の空襲に備えて、負傷してもどこでも無料で治療できるように英国の医療は国営化されていました。
医療従事者の中には、国営のNHSを導入することを心情的に支持していた者もかなりいたのです。
1948年7月5日にNHSが発足しました。
ベヴァンは、今日でもNHS創設の功労者として尊敬を集めています。
2012年のロンドンオリンピックでは、開会式のセレモニーで、NHSが紹介されました。
設立当時の看護師の制服をまとった若者たちによる「NHS」という人文字が、世界に向けて発信されたのです。
その映像を見て、厚労省の元局長は腰を抜かしたと言っていました。
東京オリンピックの開会式で、「国民皆保険1961」の人文字をつくるようなもので、日本だったら絶対にできないと断言できます!
NHSは英国人の誇りとなっています。
労働党が保守党に政権交代しても同じです。
「鉄の女」のサッチャー首相が、NHSに手を付けようとして退陣しました。
ブレイディみかこ氏によれば、英国では学校で、ベヴァンの次の言葉を全員が習うそうです。
病とは、人が金銭を払ってする贅沢ではないし、金銭を払って償なわなければならない罪でもない。
それは、共同体がコストを負担すべき災難である。
英国にはベヴァンの名前のついたバラもあります。
バラの名は「ナイ・ベヴァン」で、日本でも売られています。
私が子どもの頃に、マイク眞木さんの「バラが咲いた」という歌を、宮崎交通の納涼バスの中で歌ったことがあると叔母さんが言っていました。
回ってきたマイクで、たどたどしい日本語で歌ったら、拍手をもらったそうです。
まるで「黒猫のタンゴ」のようだったとか。
納涼バスのことは全く記憶にありませんが、「バラが咲いた」は確かに覚えています。
椎葉村に家を建てたら、庭にベヴァンのバラを植えます。
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