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公衆衛生は、知性を縦糸に感性を横糸にして紡いでいく終わりのない長い道である
医師による診察や、公衆衛生的な疫学調査は、ある意味、捜査に似ています。
熟練した医師は、患者が診察室に入ってくるところを見ただけで、病名が判る場合があります。
顔を観察しただけで、浮腫、甲状腺機能低下症、肝硬変など特徴のある症状が判ります。
昔のアラブの王につかえた医師は、診察の際には「手のひら」しか診ることが許されなかったのですが、それでも手の所見だけで疾患の判断ができるものがあります。
声や臭いなど、五感を働かせて患者と向き合えば、判断できることも多いのです。
名探偵ホームズの作者のコナン・ドイルは、医師でした。
ワトソン博士は作者であるドイルの分身で、ホームズはモデルがいました。
同僚の医師で、患者の顔を見ただけで、患者の生活を言い当てたといいます。
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政治家には、一度会った人の顔と名前を覚えている人がいます。
例えば、総理大臣になった田中角栄は、大蔵大臣(今の財務大臣)のときに、大蔵省にいる課長の顔と名前を覚えていました。
大臣室に入ったときに、「あー○○君」と名前を覚えている大臣と、「あんた誰?」と海老蔵さん的に聞いてくる大臣とでは、雲泥の差があります。
ニシタチの、あるバーのママさんは、私と一緒に行った元保健所の所長さんの顔と名前を覚えておりました。
「あーら、I先生、お久しぶり」と言われた元保健所長さんは、驚いておりました。
このバーには30年前に一度来たことがあっただけだと言っておりました。
政治家に取材する政治部の記者もまた、記憶力がよく、勘もいい人が多いです。
政治家の顔つきからちょっとした異変を感じ取り、いろいろと調べてスクープ記事を書きます。
いつもと違う、おかしい、何かあるな、とこうした勘でさまざまな探りを入れるのです。
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国際的なインテリジェンス活動は、派手なスパイ活動からではなく、地道な公開情報の分析と丹念に物事を観察することで、有力な情報を手に入れるそうです。
太平洋戦争では、大きな作戦が展開される前に、缶詰会社と製薬会社の株価が上昇することで、米軍の大部隊が動くことが判りました。
日本がポツダム宣言を受諾した時に、日本企業の株価が上がったそうです。
陸軍の情報部では、自分たちの知らないどこかで何か重大な決断がなされたことが判りました。
健康危機管理では、いつもと違うことに気がついた、医師、保健師、獣医師、薬剤師などの専門職からもたらされます。
デング熱や口蹄疫は、国内発生が70年以上もなかった中で、それを診断して医師や獣医師が、「おかしい」と判断して、もしかしたらと調べた結果判明しました。
カネミ油症事件のときは、患者の家に調査に行った保健師が台所を見て、同じ油を使っていることに気がついたことが原因究明の手がかりになりました。
土呂久の慢性ヒ素中毒は、地元の中学校の先生の報告が発端となっています。
役所への苦情はいつでもありますが、内部告発は金曜日の夕方近くにもたらされることが多いそうです。
さすがにこのまま放置していたら土日を越せない、と思う情報提供者が多いのです。
金曜日の夕方の時間外の電話やファックスには、重要な健康危機管理にかかる情報があることが多いので、要チェックです。
新型コロナウイルス感染症では、厚労省の通知は、金曜日の夕方から夜にかけて発せられることが多かったと聞きました。
これも担当者が、このままだと土日を越せないと思ったから……?。
おそらく、いろんな事情があったのでしょう。
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公衆衛生はサイエンスとアートに分けられますが、いつもと違うことに気がつく感性は、アート(技)でしょう。
昔、FMで「知性を縦糸に、感性を横糸に」というCMを聞いたことがあります。
いい言葉だなあと思っており、今日まで記憶しておりました。
ついに、使う時期が来たようです。
公衆衛生は、知性を縦糸に感性を横糸にして紡いでいく終わりのない長い道です。
そうすることによって、地域の人々の傷を癒やしたりを心を温めたりすることができます。
どうも、中島みゆきさんの「糸」も少し混じっているような気もしますが。