見出し画像

我が国には二つのゼロがある

我が国には、有名な二つのゼロがあります。
一つは、労働安全衛生の分野で行われてきた「ゼロ災」です。
これは、単に「死亡災害・休業災害だけがなければよい」という考え方ではなく、職場や作業に潜む全ての危険を発見・把握し、根底から労働災害をゼロにしていこうという考え方です。
日本発祥のゼロ災運動は、VISION ZEROとして世界にも広がっています。

もう一つは、「ゼロ戦」です。
日本海軍の零式艦上戦闘機の略称です。
第二次世界大戦における日本海軍の主力となった戦闘機です。
米軍も ZERO と呼んでいました。

今から約三〇年前に、米国のワシントンDCで、初めてゼロ戦を見ました。
当時は、日本国内でゼロ戦を見ることはできませんでした。
スミソニアン国立航空宇宙博物館の一番いい場所に展示されていました。
ゼロ戦へのリスペクトを感じました。

日米開戦当初は、ゼロ戦は米軍には大きな脅威でした。
機体が軽く、旋回能力に優れており、米軍ではゼロ戦に遭遇した際は、一機で戦いを避けて必ず二機以上で戦うように命令されていました。
米軍は、アリューシャン列島で故障したゼロ戦を捕獲して、徹底的に調べ上げました。
ゼロ戦は、空中での戦闘能力を最大限発揮するために極限まで機体を軽くしていたために、被弾した際にパイロットを保護するための構造がほとんど設けられていませんでした。

ゼロ戦と戦うために開発された新戦闘機ヘルキャットには、パイロットの命を守るために座席を鋼板で覆い、その分機体は重くなりますが、強力な馬力を持つエンジンを取り付けたのです。
ゼロ対ヘルキャット、言い換えると「戦闘ファースト」対「安全ファースト」の戦いは、最終的には米軍の勝利となりました。

優秀なパイロットが次々に失われていったのは致命的でした。
飛行機はつくればいいですが、パイロットの養成は時間がかかります。
熟練パイロット養成が困難になって、爆弾と一緒に敵艦につっこむ神風特攻隊が編成されました。

ちなみに、宮崎空港の近くに日本海軍の特攻隊の基地の碑があります。JR九州で空港に行く途中に旗が見えます。
東京九段の靖国神社の遊就館には、ゼロ戦が展示されており、無料で見ることができます。
その深緑色の美しい機体から、安全の大事さが伝わってきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?