11月の宮崎の大淀川のゆうやけは、ノーベル賞級の美しさがある。
宮崎市の大淀川河畔に橘公園があります。
フェニックスが立ち並ぶ姿は、南国そのもの。
さすがは、宮崎交通の創始者の岩切章太郎さんです。
よくぞ、この樹を選んで植えてくれました!
橘公園のすぐ傍に、宮崎観光ホテルがあります。
ここに、1964(昭和39)年11月16日から10日間あまり、作家の川端康成が滞在しました。
NHKの朝ドラで川端康成の小説を原作にすることが決まり、依頼に行ったところ川端から「新作を書く」とまさかの返事がありました。
その取材のために宮崎にやってきたのです。
「初老の男が古事記一冊をもって旅をする」というざくっとしたアイデアでした。
物語のスタートは古事記の舞台となる宮崎で、その後に鹿児島、熊本、対馬に取材に行く予定が組まれました。
宮崎空港からホテルまで移動する車の中で、川端は夕焼けの美しさに胸をうたれて、車を停めるように言いました。
そして車から外に出て、長い間、夕焼けを無言で見つめていたそうです。
この夕焼けがきっかけとなり、その後の予定をすべてキャンセルして、ずっと宮崎に滞在することになりました。
予定が狂ったことにNHKは驚きました。
朝ドラ担当のディレクター長与孝子女史を緊急派遣するとともに、川端康成の娘さんも宮崎にかけつけました。
川端は不眠症のために睡眠薬を常用しており、ドラマの原作ができるかどうか、NHKと家族の双方が不安に思いました。
長与女史は、せめてあらすじと主要な登場人物だけでもいただけないと、キャストが組めない、撮影するための俳優が押さえられない、と泣きつきます。
川端は、宮崎観光ホテルに滞在して、長与女史と娘さんと一緒に宮崎県内の取材をしました。
川端は、宮崎出身の歌人の若山牧水のファンでした。
東大の学生だった頃に、伊豆に行き、泊まった旅館で牧水とすれ違ったことがありました。
牧水が耳川の上流の坪屋の出身ということで、耳川河口の美々津まで行って食事をしています。
日向市の市長が、巨大なはまぐりを持ってきて歓待したそうです。
高千穂にも行きました。バスセンターの近くの今國旅館に泊まりました。
さてさて、翌年4月からの朝ドラ「たまゆら」は無事に放映され、宮崎のフェニックスの美しい町並みが全国に流れました。
視聴率は30%を超えていました。
これにより、宮崎観光ブームが到来し、多くの新婚旅行客が訪れるようになりました。
川端康成は宮崎の恩人です。
現在の橘公園には、川端康成を顕彰した「たまゆらの碑」が建っています。
その近くに「宮崎医学所之跡」もあります。
1879(明治12)年に設立され、宮崎県の医療を担う医師の養成を行いましたが、1883(明治16)年に廃止された幻の医学校です。
このときの内務省衛生局長は長与専斎です。
朝ドラ「たまゆら」を完成させるために宮崎に派遣された長与女史は、専斎の孫でした。
皆さまも機会があれば、11月中旬から下旬にかけての大淀川河畔で、晴れた日の夕暮れをご堪能あれ。
ノーベル賞級の美しさです。
川端康成の宮崎滞在のエピソードは、渡邊綱纜氏の「夕日に魅せられた川端康成と日向路」(鉱脈社)を参考にしました。おすすめの本です。