水を制するものが公衆衛生を制す
1894~1895(明治27~28)年の日清戦争に出征した日本軍は、現地で兵士がトラコーマ(トラホーム)に感染しました。
トラコーマは、クラミジアによる伝染性の角結膜炎で、失明の原因にもなる重大な病気です。
感染した人の眼や鼻から出る分泌液との接触で感染します。
特に家庭内や集団生活で、同じタオルを使って顔を拭くと感染します。
何度も感染を繰り返すと、まぶたの内側に瘢痕ができて内側に曲がって逆まつげ(睫毛乱生症)になります。
これにより痛みが生じて光に耐えがたくなり、角膜の瘢痕化も起こして、放置すると失明します。
手術で逆まつげを治すと、失明を予防することができます。
帰国した兵士から家族が感染して、全国的に広がりました。
1897(明治30)年には、学童のトラコーマが増加して、大きな問題となりました。
特に東北地方に多く、山形市では児童の4分の3がトラコーマに感染しました。
山形の小学校では、重症者は赤の記章を、感染した生徒は黄色の記章を付けて、席に座らせたそうです。
視察した元文部大臣が、この感染状況に驚きます。
文部省に働きかけて、学校でトラコーマの予防対策をとるようにしました。
月1回の専門医の検診の実施、感染者が多発した学校には看護師を雇って児童への点眼、洗眼を行わせました。
そのための器具や薬品を公費で整備しました。
これが小学校に看護師を普及させるきっかけとなります。
後の養護教諭へと発展することになりました。
徴兵検査のときに、失明者が多いことに苦慮した政府は、学校だけではなく、国を挙げてトラコーマ対策を実施することにしました。
1919(大正8)年には、トラホーム予防法が成立し、届出伝染病となりました。
昭和22年には届出が32万人、昭和30年代には年間約6万人、昭和40年代から急激に減少し、昭和50年代には年間3千人ほどになります。
トラコーマは、水で顔や眼を洗うことにより感染の予防ができますが、水道がないところは、家庭内での水の確保が容易ではありませんでした。
水道が整備されるとともに、激減していきました。
現代でもトラコーマは、世界的に水の便のない土地に流行しています。
やっかいなのは、眼をなめるハエが媒介することです。
ハエのいない環境づくりも必要です。
WHOは、世界で1億9000万人がトラコーマの常在する地域で暮らし、約190万人が失明していると言っています。
WHOは、トラコーマに対して「SAFE作戦」を展開しています。
この作戦は、手術(Surgery)、抗菌剤(Antibiotic)、顔面の清潔(Facial Cleanliness)、環境改善(Environmental improvement)の頭文字をとったものです。
やはり、水こそが公衆衛生の基本でしょう。
「水を制する者が公衆衛生を制する」と言っていいと思います。
映画「燃えよドラゴン」の俳優ブルース・リーも言っています。
Be Water
(水になれ)
高千穂町観光協会長さんも言っていました。