米国の重油除去作業マニュアルを見たときに、森進一さんの「襟裳岬」が聞こえてきた
1997(平成9)年の1月2日にロシアのタンカー・ナホトカ号が冬の日本海で沈没し、福井県の三国町の海岸に打ち上げられました。
辺りは、大量の重油で埋め尽くされました。
このため、自衛隊や消防団、地域住民やボランティアが集まり、真冬の極寒の中で、ひたすら重油をくみ上げるという作業を行いました。
国会議員はそれぞれの党の対策本部を設置し、各省庁の担当者を呼んで、説明を求めました。
なかなか進まない除去作業にいらだって、さながらつるし上げのような状態でした。
私は、環境庁の環境保健部の環境安全課の保健専門官として勤務しておりました。
新聞に、ボランテフィアの油を除去する作業が危険で、目の中に油がはいったり、皮膚が油でかぶれているということが報道されました。
それを見たある国会議員が、ボランティアの健康障害防止対策について、国会質問をしてきたのです。
しかも、総理大臣への質問でした。
海の海洋汚染の除去や油にまみれた野生生物の救出は環境庁の水質保全局と自然保護局が担当しておりましたが、陸上のボランティアの健康対策は、どこの省庁が担当するか明確になっていませんでした。
厚生省に掛け合ったら、環境由来の化学物質による健康障害は環境庁だろうと冷たい返事。
労働省に相談したら、ボランティアは労働者ではないと、氷のように断られました。
総理答弁を回答する省庁間で割揉めをしていたら、答弁を書く時間がなくなります。
環境庁の官房総務課の裁定で、環境庁の環境安全課が書くことになりました。
幸い福井県に出向していた医系技官の課長さんがおられて、連絡すると、福井県が把握している健康障害の種類や人数などの情報を提供してくれました。
ボランティア作業に従事する前に、不浸透性の手袋や長靴を履き、目に入らないようにゴーグルを付けるようにとマニュアルをつくって対策をとるという答弁書を作りました。
当初は総理大臣の答弁でしたが、官邸の調整により明け方近くに、政府の対策本部長である運輸大臣の答弁に変更されました。
重油除去作業のボランティアの健康障害防止対策は、たびたび国会で質問がなされました。
およそ20年前に新潟でタンカーが座礁した事件があり、このときの対応はどうだったかと、予算委員会で事前通告にない質問が飛んできました。
私は、環境庁長官の後ろで資料を渡しました。
すると大臣は、「これは局長に答えてもらって」と言いました。
局長のところに行くと、「これは大臣に答えてもらわないと議員が怒るぞ」と二人の間で立ち往生しました。
しびれを切らした議員が「答えなくてよろしいっ!」と一喝しました。
国会でつくると約束したボランティアの健康障害予防のマニュアルは、冷たかった厚生省と共同で作成しました。
氷の労働省からは、労働衛生の3管理の情報提供がありました。
その後、アメリカのNOAA(海洋大気局)の重油除去作業のマニュアルを見る機会がありました。
そのとき、アメリカに負けたと思いました。
アメリカのマニュアルには、重油だけでなく、寒さについて言及していたのです。
寒さは、重油の有害性より致命的である
超極寒下の作業は、2時間を越えることがあってはならない
作業を行う場所の近くに、暖を取るための小屋を設定すべきである
暖かい室温を保ち、毛布などを用意すべきである。
暖かいスープやコーヒーを与えることも有効である。
我々は、重油の有害性だけに着目し、寒さの有害性については全く考えていなかったのです。
ボランティアの中から5人が亡くなりました。
50歳代から70歳代の男性で、高血圧などの持病がありました。
寒冷の中、長時間の作業を行い、持病が急激に悪化したのです。
この米国のマニュアルを見たときに、森進一さんの「襟裳岬」が聞こえてきました。いや吉田拓郎さんの「襟裳岬」だったか。詩は同じか……。
君は二杯目だよね
コーヒーカップに角砂糖一つだったね
遠慮はいらないから暖まっていきなよ
1年前の元旦に起こった北陸の地震で、寒さの中で多くの方が復旧作業に従事しました。
コーヒーやスープを用意していたかという報道は、なされていないような気がします。