ローマ帝国ではアッピア水道の完成後に、下痢性の疾患が減少した
ローマ帝国は、建国されたから約400年間、泉や井戸や川から水を汲んでいました。
ローマを流れるテレベ川には、動物の死骸から市民の室内用便器の内容物まで、ありとあらゆるものが流れていました。
テレベ川の水を飲むと病気になることもあることは知っていましたが、多くの市民には他に選択肢はありませんでした。
こうした中で、財務官アッピウスは、ローマに人口が増加したので、水の供給は自然に頼るだけでは不十分だと考えました。
人工の安定供給システムの確立が不可欠だとして、水道を建設します。
紀元前312年に、最初の水道である「アッピア水道」を着工しました。
完成したアッピア水道は、全長約16.6キロ、地下に坑道を掘って、その中を流しました。
地下にした理由は、流水中の水の温度の上昇を抑えるためと、水の蒸発を防ぐためでした。
水源を決める際には徹底的に調査を行いました。
まず、検査用に水を汲んで、肉眼で確認しました。
澄んでいて、色がないか、不純物はないか。
次に、湧き水の出る周辺の調査をしました。
草木の成長状態はどうか、土壌の色はどうか。
さらに、周辺の住民の健康状態も調べました。
顔色や目の色、骨格、病人が多くないかどうか。
水源の水は、ブロンズ製の壺に入れて放置し、腐りやすさの状況を調べました。
煮沸して泡が立たないか、不純物が表面に浮き上がってこないか。
水の清潔さを保つ方法として、流しっぱなしにしました。
水は溜めておくと腐りますが、流しっぱなしにしておけば、水質を維持できると考えたのです。ローマは南国でした。
水源地からローマ市内まで水が流れるように、勾配も考えました。
石材やレンガで、アーチ式構造をした水道橋まで造っています。
市内の分水施設に到着した水は、公衆浴場、邸宅、公共施設や庶民が水を汲みに来る噴水などに配水しました。
これ以降、ローマ帝国では、アッピア水道をモデルに、数多くの水道施設が建設されました。
ローマでは、アッピア水道の完成後に、下痢性の疾患の大流行が大幅に減少したことが記録されています。
ローマ帝国の滅亡後、水道建設のために用いられた土木技術はほとんど忘れ去られていました。
ヨーロッパの都市が、市民にきれいな飲料水を供給する方法を考案し始めるのは、ようやく17世紀になってからのことです。
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