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細菌の培養は、いつの時代になっても重要な公衆衛生学的な手法である

一九四三年に米国のノースカロライナ州の陸軍の駐屯地で、小規模な感染症が流行しました。
二六歳の軍医のタトロックが、患者の血液をモルモットの腹腔内に接種しました。

モルモットの腹腔内滲出液のマクロファージの内外に、マキャベル染色でよく染まるリケッチア様の多数の桿菌を観察しました。
この桿菌を人工培地で培養することはできませんでした。

新たな患者も発生しなかったので、患者からの研究材料が無くなりました。
万策尽きたタトロックは、病原体の正体をつかむことができませんでした。

「将来の科学の進歩による解明を期待する」と論文に残しました。 

一九七六年七月の米国のフィラデルフィアに、話が飛びます。
在郷軍人(the Legion)会員の年次大会が開催されたホテルで、原因不明の集団肺炎が発生しました。

州政府の要請で調査に参加した、米国CDC(疾病管理センター)のリケッチア学者マックデイドは、タトロックと同様の方法で、モルモットの腹腔内に接種しました。
マキャベル染色の改良法として開発されたヒメネス染色を使って、リケッチア様の多数の桿菌を観察しました。

マックデイドは、人工培地で培養することに成功しました。
こうして原因菌が分離され、新しい属Legionella、新しい種Legionella pneumophilaと命名されました。

こうして三三年ぶりに、原因菌が特定されました。
タトロックが培養できなかったのには、理由がありました。

レジオネラ菌は、発育するのにブドウ糖などの炭水化物を必要とする菌ではなかったのです。
鉄とL-システィンというアミノ酸を必要とする「偏食の細菌」だったのです。

このため通常の細菌検査の培地には発育しません。専用の培地が必要です。
病院では、「レジオネラ疑い」とオーダーしなければ、レジオネラの検査は行われません。

実は、成人の市中肺炎の五%は、レジオネラ肺炎だと言われています。
また、細胞性免疫能が低下している患者は、難治化・重症化します。

糖尿病、免疫抑制剤投与者、透析患者、高齢者、心臓血管系疾患、大酒家はハイリスクです。
不思議なことに男性に発症することが多く、男性はハイリスクとされています。

一九八一年に、我が国で初めて患者が報告されました。
六四歳の男性で、大酒家で糖尿病でした。
肺炎で抗生物質が効かず、入院して七日で亡くなっています。

レジオネラ菌はマクロファージの中で生きており、マクロファージの中に達する抗生物質でないと効果がありません。

一九九九年に、四類感染症として全数把握する感染症となり、診断した医師は直ちに届け出ることになりました。
二〇一九年には、全ての血清群のレジオネラ菌を検出できる尿中抗原検出キットが保険収載されました。

患者の検体から培養菌を分離し、菌種や血清群の同定、遺伝子型を特定することにより、地域的特性や推定感染源が推定でき、感染予防対策をとることが可能となります。

遺伝子解析の結果、患者の検体と環境水の検体の遺伝子型が一致すれば、感染源だと特定され、浴場などを営業停止処分にすることができます。

レジオネラ患者が報告された場合は、その地域のどこかに感染源があります。
レジオネラの潜伏期間は、二日~一〇日。

フィラデルフィアで起こった集団発生で発症した患者の調査から判明したものです。
発症するまでの患者の10日間の行動を洗う必要があります。

患者は、温泉や公衆浴場は覚えているでしょうが、建物の冷却塔になると難しいと思われます。
警察が指紋からDNA鑑定に移行したように、保健所・衛生検査所も遺伝子の時代に突入しています。

細菌の培養は、いつの時代になっても重要な公衆衛生学的な手法です。

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