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ナポレオン軍の軍医団長ラリー男爵が、救急車とトリアージを考案した

ナポレオンは国民皆兵をしいて、フランス国軍を整備しました。
全国から集められた兵士に種痘を行います。

ナポレオンは、医学に大変興味がありました。
種痘法を確立した医師ジェンナーはイギリス人で、イギリスはフランスにとっては敵国ですが、ナポレオンはジェンナーに勲章を贈っています。 

ナポレオンは、軍医団を組織しました。
それまでは戦争が起こると、町医者を招集して軍医として従軍させ、戦争が終わると解雇していました。

それをやめて、医師を軍医として採用し軍の内部で昇進させるシステムを作ったのです。
ナポレオン軍の軍医総監となったラリー男爵が有名です。

ラリー男爵は、現在の救急車の原型となるものを考案しました。
馬に人を乗せる貨車を引かせ、戦場で負傷した兵士を拾い上げて乗せて、安全な場所まで後送して治療を行いました。

戦場の救護所で負傷者を選別するシステムも考案しています。
これがトリアージです。

軽度の負傷兵から優先的に治療を行うことによって必要最小限の治療で前線に復帰させることができました。
トリアージは、軍陣医学の基礎となり、第一次世界大戦以降に世界に広がりました。

もともとの目的は、医学的でなく軍事的なものでした。
しかし、今では救急部門で主要な管理手段となっています。

宮崎県美郷町の救急車

ラリー男爵は、フランス軍の兵士だけでなく、敵のイギリス軍やプロシャ軍にも尊敬されていました。
イギリス軍のウエリントン将軍は、ワーテルローの戦いで、ラリー軍医のいるところは砲撃してはならないという命令を出しています。

この戦いでラリーは傷を負い、プロシャ軍の捕虜となり銃殺を宣告されました。
包帯を巻きに来たプロシャ軍の軍医が、ラリーだと気がつきました。

この軍医は、ベルリン大学でラリーの講義を聴いたことがあったのです。
軍医は驚いて、軍司令官に報告しました。
プロシャ軍の司令官は、ラリーの釈放を命じました。

プロシャ軍の軍医に丁寧な治療を受けたラリーは、無事にフランスに返されました。
司令官の息子は、かつてラリー軍医の治療を受けたことがあったのです。

ちなみに、ヘリコプターを負傷者の輸送に使うようにしたのは朝鮮戦争のときのマッカーサー元帥です。

歴史を勉強して物事の由来を知ることは、本質を理解する上で、大切なスキルのひとつです。

宮崎大学医学部附属病院のドクターヘリ

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