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米国の憲法には公衆衛生はないが、日本国憲法には公衆衛生はある

米国の細菌学者で公衆衛生の専門家のウィンスローは、1920年1月9日発行の医学雑誌サイエンスに、公衆衛生の定義を掲載しました。

公衆衛生とは、環境衛生の改善、伝染病の予防、個人衛生の原則についての個人の教育、疾病の早期診断と治療のための医療と看護サービスの組織化、および地域社会のすべての人に健康保持のための適切な生活水準を保障する社会制度の発展のために、共同社会の組織的な努力を通じて疾病を予防し、寿命を延長し、肉体的精神的健康の能率の増進を図る科学であり、技術である。

今からおよそ100年前にこしらえられたものですが、しっくりくる定義です。
身の回りの環境衛生、感染症予防、健康教育、健診、医療と看護、社会保障、健康日本21、疾病予防、精神保健も入っています。

私が所属していた厚生労働省の医系技官には、大きく「医療派」と「公衆衛生派」がありました。
医療派が主流で、公衆衛生派は傍流でした。いや「レアキャラ」でした。

原作草水敏さん、漫画恵三朗さんの「フラジャイル 病理医岸京一郎の所見」では、絶滅危惧種の病理医が主人公ですが、保健所経験のある医系技官はそれ以上に絶滅危惧種でした。

私が入省した頃には、南北朝の争いになぞらえて、医療派が「北朝」、公衆衛生派が「南朝」だと言われていました。
北朝たる医療派の拠点は「病院」、南朝の公衆衛生派の拠点は「保健所」でした。

医系技官として厚労省で働く前に、病院に勤務したことがある医師は山のようにおりましたが、保健所に勤務したことがある医師はごくごく少数でした。

保健所に思い入れのある医系技官は、春の宵、米国のロックフェラー財団が東京の白金に建てた公衆衛生の殿堂「国立公衆衛生院」の桜の木の前に結集し「嗚呼、公衆衛生はたそがれか」と遠く吉野の里に散る花びらを思いながら、涙で酒を酌み交わしたものです。しくしく。

ううう。
いかん。この記述は、かなり盛っておることを、お断りしておきます。

新型コロナウイルス感染症の蔓延で、日本国中の人々は、医療や診療報酬だけでは健康や生命が守れないことを理解しました。
保健所は、コロナ以前は「捕犬所」としてのイメージが強かったのですが、ポストコロナでは「保健所」と正しく認識されるようになったと思います。

長い間実現できなかった「衛生検査所」の法制化は、これまでの抵抗勢力の大した反対もなく、地域保健法に位置づけられました。
国においては、国立感染症研究所と国際医療研究センターが合体して感染症対策の司令塔となる「日本版CDC」が、2025年4月に創設されます。

名称は、「日本健康危機管理研究機構」です。
略称は、J IHS(ジース、Japan Institute for Health Security )で、感染症の情報分析や研究、危機対応などを一元的に担います。

コロナのビフォー・アフターで、世の中はがらりと変わりました。
公衆衛生の時代が復活しました。

ウィンスローの公衆衛生の定義は、米国の公衆衛生の教科書に引用されており、現在も有効であると書かれています。
100年前の定義だからと言って、古いと嘆く必要はありません。

ナイチンゲールの「看護覚え書き」は150年前
「ヒポクラテスの誓い」は2000年前

今もその価値を失っておりません。

宮崎大学医学部のヒポクラテス像

そもそも「公衆衛生」は、日本国憲法第25条に位置づけられています。

すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


「医療」という言葉は、憲法の条文にはありません。

日本国憲法の草案作成者は、ウィスンローの公衆衛生の定義を知っていたのだと思います。
草案に「公衆衛生」という文言を入れたのは、ベアテ・シロタ・ゴードンというGHQの民政局にいた女性です。

ベアテ女史は、日本国憲法憲法の草案の中に「男女平等」を書き込んだことで有名です。
「1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝」(朝日文庫)は、おすすめです。

面白いことに、米国の憲法には「公衆衛生」という文言はありません。
憲法を草案した米国人たちが自国の憲法にもない「公衆衛生」を入れたのは、自分たちの理想を新生日本に託したのかもしれません。

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