話すことで感じること、わかること。
話すって大事。
昔からの友人が、何だかとても忙しそうで、
更にいくつかの問題が重なり大変そうで、
話を聴いてあげたいと思った。
しかし、それを彼女に提案しても、忙しく、時間が取れないと言われた。
力になりたいのに、なれない。
凄くもどかしかった。
逆も然りで、
自分が辛い時、私は人に助けを求めるのが苦手なのだが、
ある時行き詰まって話を聴いて欲しいと願い出た。
その時も彼女の答えは同じで、時間が取れない、だった。
正直ショックだった。
ずっと大切な友達だと思ってきたのに。。
何は無くとも頼り合えると思っていたのに。
彼女も謝っていたが、それだけの状況なのだと、私も客観的に見られるようにして、
なんとか持ち直した。
人の助けを振り払うほど、大変な状況なのだと思うと、
本当に何かしてあげなくてはと思った。
そんなこんなしているうちに数週間経過し、
彼女がコロナに感染し、自宅待機していると知った。
忙しい彼女にとって、それは神様がくれたひとときの肉体精神両方に与えられる休息のように感じたし、
何も考えずゆっくり休むようにと提案した。
そして、私と彼女が話す恰好の機会ではないかと思い、容態が落ち着いてきた頃合いを見計らって話した。
やっと話せた彼女の声は元気だった。
いつものように笑っていた。
しかし互いに最近抱えている問題について話し、吐き出し、整理した。
子ども、それに派生する仕事、家庭環境。
頼られすぎていることに対して、しっかりそして上手に伝わるように主張する対策を考えた。
私のことは爆発しそうだった時期はすぎ、ブレイクスルーしていたので、相談ではなくほぼ報告だったが、
今後の人生はもっと好きに生きていいよね!と二人で確認した。
そして彼女は○ならこれまでもやってきてるし、飛び出しても楽しんでたくさん良い思い出作ってかえってくる想像が私はできるよ!
と言ってくれた。
うん、ありがたい。
吐き出すこと、整理すること、まとめること、気づくこと。
話すことでわかることもたくさんある。
私も少しは彼女の力になれていたらいいなと思った、火曜の午後であった。