世にない仕事 脳発達教育学
私は脳科学と教育に興味がある。
脳科学は、自分自身や、親、周りの友達、精神疾患のある人、面白い能力を持っている人など、いろんなことを理解できるようになるところが魅力だ。
教育は、主に何かしら辛い経験をしたけれど頑張っている人などに対して、何かしら良い影響を与えて、それをきっかけとして前進してくれるところが魅力だ。
自分は、生きやすさを実現したい。
生きやすさを具体的にすると、自分がいまここに存在しても良いと価値を持って生活できることだ。
しかし、現代は、「能力主義」だ。特にまだ正解を出していない子供は、学校の偏差値と大企業かどうかばかりで価値を決められる。自分の家はそれが顕著で、勉強できなかったら存在する意義が無かった。天井のない「良い」成績を求めて、母親は常に怒っていた。「高卒で苦労した親、特に父親のような肉体労働者にはなるな」と言われて育った。小さい頃は半別居状態で、母親と一緒にいるときは父親の悪口、父親といるときはパパ大好きっ子にならざるを得なかった。自分の大好きな両親を否定することが当たり前の大前提にあったことは、常に心に矛盾した感情を抱えていることになり、今思えば非常に辛いことだった。
そんな生きづらい思いを誰にもしてほしくない。
私にも父親にも
全ての人には価値がある。
こんな少しねじ曲がった背景が原因だったと思う。無意識だったが小さい頃は、特に、脳科学と(生きやすさを実現できる)教育が強く結びついた。
自分の親戚の知的障害を持っている人。いつも嫌がられ叩かれていた。しかし、どうだ、サヴァン症候群と呼ばれた、超能力を持つ人たちが世の中にはいる。さあ、障害者に価値が無いなんて言えないだろう?と。偏差値が全て、現状の社会で活躍できるかが全てじゃないんだ!と。そして、このメカニズムを脳科学者になって解明してやって、誰にでもそんな能力つけられる、つまりそれが本物の人間の価値になるわけじゃないんだと言いたかった。
先ほども言ったが、少し紆余曲折を経ている。
現在随分とスマートになった私のやりたいことは次だ。
脳科学と生きやすさを結びつけた研究をし、結果を社会に若者に還元する
ストレス社会、能力主義社会、なのに暇な社会で、生きづらさを抱える人はどんどん増えている。その人たちの生きやすさを解明したい。
いや、もう大体わかっているのだ。小さい頃に得た、「存在しているだけで価値があるんだという奥底の自己肯定感」が、最低限の生きやすさに繋がるだろう。これをもっと科学的に証明してやりたいのだ。
現状気になる研究室は、ここだ。下群先生。もう少し自分のやりたいことが固まったらコンタクト取ってみよう。
(前に述べた、「世の中で成功と呼ばれるような能力は誰にでも科学で簡単に身につけられる。だから人が存在する価値は偏差値じゃない」背理法もできるが、わざわざそんなめんどくさいことをしなくても良い気がしている。サヴァンと呼ばれる人たちに面白さをどれだけ感じるかだろう。また、人は何かに熱中していないと退屈で不幸になる(『暇と退屈の倫理学』より)。ならば、大前提として存在に価値があり、その上で退屈だから、勉強しようとか成功しようとか、科学に手が及ばない芸術で表現をしようとか思うべきだ。)
そして出した成果を目の前にいる困りごとを抱える子供を助けるために使いたい。これが大きなモチベーションとなるだろう。
できればだ。できれば。
脳科学と生きやすさに関して自分がした研究成果を、すぐに教育現場で実践できるような環境を作りたいんだ。