明けない夜は無い って、希望ですか。
夜明け
『夜明け』。
第13回 最終話のサブタイトルだ。
何の?
ドラマ『ホーリーランド』の。
古いテレビドラマだし、原作漫画が完結してからもだいぶ経っているし、そもそも題材に少し人を選ぶ部分もあったから
この作品を知らないひと/忘れたひとも多いと思う。
ただ、根強い人気がある作品だとも思う。
でも、ずっと好きでいるひとも、きっと結構いるはず。
ざっくりあっさり乱暴に言うと、夜の街で喧嘩する子供の話だ。
自分から進んでだったり、仕方なくだったり。彼らが夜の繁華街で暴力をルールにしている理由はそれぞれだ。
テレビドラマ版は原作漫画と違う演出になっているところもあるし、忠実に実写化しているところもある。
そもそもテレビドラマが放映された当時、まだ原作は連載中だった。
だから1クールで終わるドラマは、原作と違う着地をする。
(原作の漫画も大好きなのだけれど、)自分が震えるほど好きなのはこのテレビドラマ版の最終話である。
作中において少年たちの暴力は、基本的に夜間のものだ。
煌々と光るゲームセンター、小田急線の高架下、人気の消えた校庭。
そういう夜の街で繰り広げられた物語が、朝日の中で(一旦の)幕引きとなる。
この演出が本当に、本当に鳥肌ものなのだ。
今、微に入り細を穿って語りたい気持ちと、未視聴の方にはどうにか前情報無しで味わってほしい気持ちが戦っている。
通うところと帰るところ
帰属するのはどこですか
ところで、夜の街を舞台にした漫画というと
2023年の今は『ホーリーランド』より『よふかしのうた』の方を思い浮かべるひとが多いのではないかしら。
この漫画のタイトルのもとになった楽曲『よふかしのうた』は
夜を擬人化したような口ぶりで歌う
夜を謳歌している。
この文脈で夜明けはカタルシスなんかにならない。
同じくCreepyNutsの楽曲である『朝焼け』は、さらに言葉選びがストレートだ。
トラックの一音からリリックの一単語から大好きな曲なので、さきほどの『微に入り細を穿って語りたい気持ち VS 未視聴の方にはどうにか前情報無しで味わってほしい気持ち』がまた始まっている。うがー(葛藤の声)
自分はこれらの作品を愛していて、
どうしてこんなに愛しているかというと、
それは限りなく自分事として感じられるからというのが大きい。
要するに自分は夜に帰属意識がある方の生き物で、
朝日は希望よりも時間切れの象徴なのだ。
あらゆるシーンで「夜明け」や「朝の太陽光」は健やかな喜び、きらきらしたスタート、期待に満ちた予感といったものを透かしている。
確かにたくさんの視聴者(、読者、リスナー、観客 etc.)にとってはそうなのかもしれない。そうなのだろう。あたーらしーいっ、あーさがきたーっ。きーぼーうのっ、あーさーだっ。
……喜びに胸を開かず、大空を仰がない方が少数派なのだ。
だが少数派には少数派の聖地や讃歌がある。
物語の終わりは、
ドラマ『ホーリーランド』の朝焼けに話題を戻そう。
夜に生きている者にとって夜明けは歓迎できないということは、散々っぱら語った通りだ。
では最終回の「夜明け」はバッドエンドか?
違う。
実に清々しく、冴えた朝が描写されている。
ラストシーンには静謐ささえ感じる。
静かだが未来がある、穏やかでいて生命力もある、そういう朝がやってくる。「希望の朝」だ。
言ってしまえば「普通の朝」でもある。
わたしは、この嬉しさと寂しさで泣きそうになるのだ。
朝なのに、終わりじゃない。
つまりそれは、「朝で終わっていた世界」そのものの終わりだ。
1クール描き上げた物語のエンディングに、物語世界の終わりが重なる。
とんでもなく美しいシーンだ。
我々が生きている世の中の大体は、朝に始まって夜に終わる形をとって動いている。ドラマの中で、夜に始まって朝に終わる世界が終わる。ドラマが終わる。ドラマを観終わった我々は、朝が希望の象徴として君臨する世界に戻っていく。
ストーリーが好きな作品
セリフが好きな作品
演者が好きな作品
キャラクタが好きな作品
照明演出が好きな作品
作中音楽が好きな作品
題材が好きな作品
……それぞれ沢山ある。挙げていたらキリがない。絞るのに迷って数日は悩む自信がある。
ただ、「 #好きな番組 」が何かと問われたら即答できる。
ドラマ『ホーリーランド』が持っている
「番組」であるということで成立する最終回の爽やかな喪失感
を超える感動には未だ出会えていないからだ。
わたしの大好きな番組である。