私が人と言葉を大切にしている理由

私の18-19(19歳)の振り返りとその記録、そして現在の私を表す言葉はこの言葉に尽きます。

「私は多くの人と言葉に支えられてここまで来ました。」

何度も言ってるし何度も言うけれど本当にそうだと思っています。本当に救われてきたんです。

とは言ってもそのことに気づけたのは大学生になってからでわずかここ数年の話なんですけれど‥(ようやく気づきました。)書けるだけ書いてみます。

自分の体験としては大学生になって人生で初めて鬱になりました。(なると思わなかった)1年生のときが人生で一番辛かったな。大学前の出来事として自分の人間性の未熟さを痛感、大学受験失敗、失恋。入学後の出来事として新しい環境、孤独感、多忙による憔悴。シンプルにキャパオーバー。高校が人生の山場、この先お先真っ暗、下降しかないって本気で思っていました。

全部書くと切りがないので人間性にいてと孤独感についてだけ書いておきます。

まず高校を卒業したときに私はなんとも形容し難い、言語化し難い(今になっても何と表現すればいいのか頭を抱えている)のだけれども、とにかく絶望感(とりあえずこの言葉を当てはめておく)を感じました。何に絶望していたかというと自分が人間的に全く成長できていなかったことです。よく分からないけれど確かな感覚として、私は人間的成長が全くできていない、人間性がしっかりできていないと感じました。絶望の淵で膝から崩れ落ちる感覚とでも言っておきましょうか。とにかくこの3年間何やってたんだと感じていたのは確かです。

次に孤独感については大学で、なんかここ自分に合わないかも、来るとこ間違えたかもと感じていました。当時進学先がいわゆる滑り込み校というやつで私自身が不満を持ってたのもあるだろうし、(この件については本当に自分が未熟すぎて反省している)思ってたより周りの人が遊んでいて、本気で研究したり何か目標に向かってがむしゃらに努力してる人がいなくて、真面目な話をできる人がいなくて(勝手にそう決めつけていたからだったのかもしれない)私が安心できたり自分らしくいられたりする居場所がなかった。

大学に進学したのは研究をするためだったのと、高校卒業して感じた自分の人間としての未熟さ、辛い現実を変えたくて私は絶対自分を変えてやると自分の人生の課題に取り組み始めました。

やったこととしてはまず自分の現状をノートに書き出して整理することです。何が辛いのか、どうして辛いのか、何に不満をもっているのか、なぜなのか、自分と深く対話をします。自分の感情とその深層心理を言語化します。最初は感情のはけ口として使っていましたが次第に自分によって良いと言葉を書くようになり、(本や人からの言葉から集めていました)言葉で自分を癒やすということもできるようになっていきました。

次に課題の設定です。現実に不満を抱いても現実は変わらないので自分が変わるしかないです。自分の弱みは何なのか、自分の直すべきものは何なのか、どういうことをできるようになりたいか、そのためにはどうするべきか、自分で課題を設定して日々そのことを意識しながら自分の課題に取り組みました。その際にその過程も書くようにしていてこれはできた、これはできなかった、これだけできた、次はこうしてみるの試行錯誤の繰り返しです。何度も指差し確認して自分と徹底的に向き合いました。

ノートを書く一方で自分から動いたこともあります。1年生の夏に9日間の短期留学?語学研修?に行ってきたり、1年間英会話をやってみたり、あとは期末試験をプレゼンで受けてみたり(私以外全員筆記試験を選んでいた!)、イベントの主催者側として参加して先輩や先生と繋がるようになったり、留学で繫がってできた新たな友達とイベント主催してみたりと。(この頃はコロナが流行っていなかったから大学の教室を借りれた)そしてその友達と社会問題解決のための行動を起こすサークルを設立したりもしてます(潰れちゃったけれど、、笑)色々やってみました。

そんなこんなで自分なりに頑張ってたら救いの手が差し伸べられました。1年生の冬、ゼミの授業が終わって疲れて学食で昼寝をしていたとき、私の人生を良い方向に変えてくれた人に出会えたんです。同じ学部の他学科の4年生の先輩で社会人の方と学食に来た記念写真を撮ってくれませんかって声をかけてくれたのがきっかけです。その後私を根本的に救って下さった方に出会い、その人が私の人生のロールモデルの人です。この出会いがなかったら今の私はいないんだろうなって本当に思います。

その先輩はまず私を外の世界に連れて行ってくれました。私は教育系のインカレには入ったものの授業と教職で潰れて行けなくなって、行かなくなって外部の人との繋がりが薄くなっていました。スポーツをやるサークルに誘ってくれていろんな人との出会いに恵まれました。今まであまりやってこなかったバレーボールにも挑戦できました。大好きなサッカーもできました。そして良い言葉をたくさん与えてくれる人たちを紹介してくれました。その言葉で心が温まったり勇気がもらえたりしました。居場所も出来て少しずつ自分の傷が癒えていきました。

こうやって大学1年生のときを振り返ってみただけでも、自分の課題克服や前進をするのに心の支えとなったのは恩師からの言葉や卒アルのメッセージ、その時々で出会った言葉、新しく出会えた人で人と言葉に本当に救われてきたって実感するようになりました。どんなに辛くても自分が変わりたいって本気で思って動いていれば頑張ってきてよかった、報われたと感じる日が絶対来るし、この人にこの言葉に出会えたって思えるときが絶対来るって私は確信しています。

だから人や言葉っていうのは私にとってとても大切なものです。本当に感謝に尽きます。私はどんなに昔受けた恩でもどんなに些細な出来事でも忘れずにそれらに何度も何度も感謝して生きたいです。あの時のあの先生のこの言葉があるから今自分が頑張る原動力になっている、あの時あの先生が指導して下さらなければ今の私はいない、、挙げればきりがないくらいです。特に恩師の先生方の言葉にとても救われたので恩返しをしたいと思っています。とは言っても直接返すのは難しいので私の身近にいる人だったりこれから出会う人だったり、他の人に恩返しすることで「恩送り」をしたいと思っています。巡りに巡って先生方にいつか少しでもいいから届くといいなって思っています。

私も先生方のように誰かを勇気づけたり、誰かを突き動かす存在になれたらいいなって思います。有名人になりたいわけでも影響力がある人になりたいわけでもありません。私は私が変われたという実感が強くあるからこそ、単純に周りの人を巻き込んで一緒に成長したり、成長の喜びを分かち合ったり、試行錯誤を楽しみたいだけなんです。自分が成長することで得られる喜びや幸せをもっと他の人にも感じられるようになって欲しい。シェアハピ。

私が変われたから他の人が変われないってことはないと思います。でも変わるのはその人にしかできないので私が出来ることとしたら勇気づけくらいだと思います。私にあなたを変える力はないけれど、変わるきっかけくらいになれたら嬉しいです。

長い文章を読んでくださってありがとうございました。幸あることを願っています。

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