拝啓 愛を知らなかった私へ
私の19-20(20歳)の振り返りとその記録を書こうと思います。2020秋〜2021秋に起こったことをできるだけ思い出してみようと思います。
2020年は周知のようにコロナウイルスによる自粛生活を強いられました。ようやく大学生活にも慣れてきて、余裕も出てきてさぁ2年生も頑張ろうと思っていた矢先の出来事です。
大学にも行かなくなり、人と会わなくなり、人と話さなくなり、そして、、正直どうやってあの1年を乗り越えたのか未だに謎です。記憶にないくらいぽっかりした1年のように感じました。
友達の友達を紹介してもらったりしてzoomで仲良く話すことはありましたが、大学での友達は一切増えませんでした。友達が多いほうが良いとは主張しないけれど、私は素敵な人や言葉に出会いたいと常々思っているのでとても残念でした。でも唯一素敵だなという人に出会えました。
それがA先輩です。偶然にも私と同じ大学の学部学科出身の社会人の方で今でも仲良くさせてもらっています。心がとても清らかで優しくて愛のある方です。繊細だけれども強さも備えている方です。でもユーモアがあって面白い。しょうもない話をして一緒に笑える、素敵なお姉さんです。(そしてとてもお綺麗な方でもある、、😳)
そんな素敵な出会いにも恵まれて、2年生の1年間も不自由がある中でなんとか過ごすことができて3年生からのゼミ選考を迎えます。これまでは半年ごとにゼミは変わっていたけれど、3年生からは卒論に向けて2年間同じゼミに所属するのでとても大事な選択です。
結論から言うと私が入りたいと思っていたゼミではないゼミに配属されました。そして一時はそれを本当に悲しく苦しく恨みたくなるほど、そして理不尽であると感じていました。しかし今は自分が所属するゼミが最高のゼミだと感じています。(万事最善の道へ導かれている話は後ほどnoteで詳しく書ければと思います。)研究方針もゼミの先生も私に良く合っています。自分の思い通りにならなかった事実はありますが、進んだ先が思い通り以上の所でした。
3年生になって2年生のときは大人しくしていたので少し動いてみようと思いました。合宿免許中に長期インターンの面接があって(結局辞めることにしたけれど初めて社長さんと話してドキドキした)、また大学の履修集相談会を主催したのでその準備、また有志でもやろうということで人の紹介やSNSで繋がった人たちとも開催しました。
また2年生のとき確かに人との出会いは社会情勢的に制限される環境的要因はあったけれど、テクノロジーが発達している現代に自分が動かないのも問題だということでオンラインイベントに積極的に参加したり、SNSで繋がった人とzoomでお話をしたりしました。
その中でやっぱり人との出会いに恵まれたというか、自分と同じ興味関心を持っていたり、人柄がとても良くて尊敬できたり、また夢を応援したいと思ったり、仲良くしたいなと思ったり、とコロナ禍でも新しい人に出会えました。
また母校に行って恩師に再会できたり、去年の夏に参加したインターン(学童保育系)のキャンプボランティアに参加できたり、1年生のとき出会って一緒に学生団体を立ち上げた先輩が携わっている居場所に関われたり、その縁でオンライン英会話レッスンのサポートも経験することができました。とても恵まれました。
その一方で自分なりに苦労して模索したこともあります。それは愛についてです。高校を卒業する際に1年生の時の担任に愛について学べと言われたような気がします。(正直面談?の内容はあまり覚えていない、、先生が軽音部の後輩に怒っていたことの方が記憶に残っている、、)
また2年生のときから哲学を学ぶようになって生や死、もちろん愛についても考えることが増えました。私は内向的な人なのでその類のことを考えるのは好きですが、真理というか自分の中でこれだという気づきや感激といったもの、答えのようなものは存在していませんでした。
それと聖書について学び始めたことが大きいと思います。初めて学んだのは大学1年生の冬でした。このときに出会った先輩と社会人のお二方が私の人生を変えるきっかけになったのは言うまでもありません。でも2年生になってからは自粛生活なので学ばなくなって(それに先輩は社会人になってしまったし)、でも秋くらいに偶然にもまた学ぶ機会を得てまた学び始めたという感じです。
聖書の話は長いのでざっくりしかここでは書きませんが、科学しか信じない私(それに宗教は怪しい、弱い人が信仰するものだという偏見がゴリゴリに固まっていた)が神様の存在を認め信仰するようになったのはとても大きな変化でした。
もちろん日常でどかーんと大きな天変地異のような出来事が起きて信じるという話ではないです。(都合が良すぎる)日本人は無宗教が多いので(私もそうだった)自分が宗教を持つようになったのも大きいし、宗教を持っている人にも寛容になれたのも大きいと思います。私はキリスト教ですけれども、大学生になって実際にイスラム教徒の方に出会ったことはあります。
そして何より祖母の死を経験しました。3年生の夏の終わり。あと数日で1ヶ月が経ちます。初めて自分に近い人を亡くしました。今でも涙が出ます。心に傷を負いましたが祈ることで癒やされたことは大きかったです。
また死で傷を負ったのもありますが、実は人間関係でも傷を負ったこともありました。まず交際を申し込まれてそれを断ったことで傷つきました。永遠の課題です。片思いの辛さ、告白の勇気は私も身を以て知っているので断るのが辛かったです。
期待に応えられないこと、当時恋愛に関心があまりなかったこと、簡単に付き合う性格ではないこと、また相手が最悪傷つくことを覚悟の上で言ったのに私が過度に傷つけたことへ謝罪した、心配したことは彼の信用してほしかったという言葉に現れた。余計に彼を傷つけたという自責。
これまではなんとなくで誤魔化して、別に両思いでも付き合わなくて良いよねという私のスタンスで適当にやってきてしまったのでちゃんと向き合うことになって、たくさん考えて、でも言葉選びを間違えてでそこで傷つき傷つけながらも(ごめんなさい)学んだことは多くありました。
恋愛ってこんなにも難しいんだなぁと思った矢先でまた問題が起こりました。今度は地元の友達と価値観が合わないということがありました。最悪友達を失うところでした。お酒と異性は混ぜるな危険だということを身を以て痛感しました。
そこで初めて男の人が甘えることがどういうことなのかを知りました。女の人には分からない苦労をしていることも知りました。男の人について知る必要があるとも感じました。興味ないじゃ済まされない。
彼に対しては私はこれまで通り友達でいたかったので断ることは断りました。でも彼はそれを拒絶だと感じてしまったそうです。そこで価値観の違いによって傷つきました。友達を、人を、一人の人間としてありのままの姿を受け入れたいと思っていたのに、お互い求めていたことが違いました。
でもこれらも祈ることで解決されてまた救われました。肉体的な愛は愛の本質でないことにも気づけたし、もっと高次元の愛が存在すると感じることができました。自分がこれまで知らなかった愛について知ることが出来て、気づくことができて、その愛を為せる事をしれて幸せだと思いました。
人はよく幸せになりたいと言いますが、私が一つ答えるとするなら愛することだと思いました。
さて話が長くなってきたのでまとめに入りますが、2020も良い1年でした。正直高校生活が楽しくて2018が人生の最高だと思っていたんです。志望校に進学できなかったり失恋したりしたので2019からずっと下降すると思っていました。でも嘘でした。(以前書いたのを一番下に貼っておきます)
2019は2018よりさらに良かったし、2020は2019よりさらに良かった。これって本当にすごいな、恵まれたことだなと思いました。2021を現在送っているわけですけれども、2021も上記で書き記した通りにすでにいろんなことが起こっているので、その度に失敗をたくさんして試行錯誤しながらも楽しく学んでいけて本当に嬉しいです。
今日は私の誕生日前日ということで、私がいつもお世話になっている社会人の方とzoomをしました。新しい方に出会わせて下さり、感謝について教えてくださいました。話を聞いていてその言葉に愛を感じて涙が出ました。
そして明日もまたzoomをして新しい人を紹介してくださるそうです。そしてA先輩に一年越しに初めて会えることになりました。ほかの先輩方にも会えて嬉しいです。誕生日に私が大切にしている人と言葉を恵んでもらえるなんてこれ以上幸せなことってあるのでしょうか。これも感謝しかないです。
感謝で20歳を終えられたことに感謝します。そして感謝することが出来るようになったことにも感謝します。
明日はとびっきりワクワクしています。zoomもそうだし、駅で待ち合わせをしてお昼ごはんを食べるのも。お母さんのワンピースを借りて行こうかな。スカートに艶があってとても綺麗なやつ。私はまだ一度も着たことがない。
帰りにケーキも買ってこようかな。普段は買わないようなやつ。ちょっとお高めのケーキでも良いかもしれない。お花屋さんで綺麗花があったら買ってこようかな。花言葉とか考えてみるのも素敵だと思う。
あぁ、とても嬉しい!私のことを愛してくれていて、私も愛している人と一緒に誕生日を迎えられるのは。すごく嬉しい。明日は良い一日になりますように。これからもずっと良い一日になりますように。
前回の記録、18-19歳(19歳)はこちら