闇と光の間で

90年代の初め頃、ドーンパープルというアルバムが発売された。
アーティストは 松任谷由実。
それまで ドーンパープルという言葉を 使用した著名人は 誰も
いなかったのではないかと思う。
そして 私は 毎日 ドーンパトロールに出かける。
ドーンは ローマ字では DAWNだ。
その一語だけだと 夜明け前のまだ薄暗い状態を指す。
ドーンパトロールとは サーフィン用語で まだ明けない時間に 波を
チェックに行くことを表す。
そうして薄暗い中 沖を見つめていると 東側から少しづつ、ほんの少しづつ
光が迫ってきて 薄暗い部分が 西に追いやられる。
それは まるで 光と闇のせめぎ合いで 最終的には 闇が 日没に再び 訪れることで その場を 光に譲ることにする。
秒刻みで 変化していく 空の色を見ていると 世の中も こんなだよねと
ふと思う。平和を願う人たちと 争いを起こす人たちが 同じ時間に存在して
いる。

つい先日から この先 使用しないものを どんどん手放している。
ピアノは 知り合いの子供たちにあげた。
髪型が変わったので これまで着ていた服の大半を eBayで売った。
なんと それだけで 1000ドル近い収入があった。
たまたま ローカルに大人気の ハワイメイドのものだったから みんな 
値引きなしで 買ってくれたのだが よくもまあ 買い集めたものだと 
自分に呆れた。
二度ほど試して 好きになれなかった ロングボードも ネット上で 売りに
出した。すると 同じ町に住む人から 連絡が来て こちらが提示した金額で 買い取ってくれた。偶然にも クライアントの ご主人だった。
それだけで 家の中が スッキリして 風通りが良くなった気がした。
その他にも バックパックや ジーンズなどは 近所の高校に寄付することに
した。日本では 考え難いかもしれないが こちらでは 親が 子供に 洋服を
買えずに 子供がボロボロの服を着ていることがある。
だから 先日は 全然 履いていない スケートシューズ(スケボー用)や
一度しか着なかった バンクスジャーナルのメンズのフーディーを サイズの
合う生徒にあげてもらうように 先生に渡した。
それらは ロックダウンの 有り余る時間の中で オンラインストアーから
購入したものたちだった。
好きになれなかった ロングボードも その一つだ。
ロックダウンは オンラインショッピングの機会を 短期間で 何倍にも
増加させ 郵便局員たちを てんてこまいさせた。
その頃 アマゾンから購入したいくつかの本がある。今となっては 読む時間を見つけられず また 内容も 興味が薄れ なかなか読み進まない。
それで 近所の図書館の前で 週末に行われる ブックセールに 寄付することにした。
誰かの不用品は 他の誰かの必需品になったりする。
そうして 物が循環している。
お金を出すこと。お金が入ってくること。それも 循環であり そこにも 
バランスがある。

かれこれ 数年前から 突然 時間に対する感覚が 変わってしまった。
それは 私だけじゃないらしい。
カレンダー上の日にちは どんどん過ぎていくのに 自分の過ごす時間は
これでもかというぐらい ゆっくり流れている。まるで 全てが スローモーションの世界だ。
小川を流れる水の速度が 日向と日陰では 違うのだという。
それは 水の粒子が 温度によって 縮小したり膨張したりするからだと
それを 発見した人は 言っていたが それと 時間の感覚が変わったこととは
関係があるのだろうか?
私たちは 70%が 水分からなっているし 地球は 水の惑星と 呼ばれている。
とにかく 今は この時間の感覚の変化に 慣れることで 精一杯だ。
それとも これらのことは ただ私の頭の中だけのことなのだろうか?と
思うことがある。
嘘が まかり通ると 本当のことを言ってる人が 自分が間違えてるという錯覚に陥ることがあるが 自分が今いる世界は 実は 自分がそう思ってきた世界に
過ぎないのではないか?という思いが 日に日に強くなっていく。
まるで ヴァーチャルの世界に 身体ごと引き寄せられるかのようだ。

まだ10歳にも満たない頃、性別や国境で 区切られることは 意味がないと
思っていた私だが いつの間にか それが現実になり始めている。
それとも 洗脳はすでに始まっていたのだろうか?

夜明け前の 薄暗い空は 夜に属するのだろうか?それとも 朝に属するのだろうか? 
その 相反する世界のはざま あるいは その二つの世界を繋いでいる 時間に この世界の不変なる普遍を 見つけるのだった。



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