自然体〜その1

何度かnoteに書きましたが 私の左目の不具合。
視力は日により変化し 睡眠中と明け方、眼球と瞼の裏が
ひっついているような感じは今も続いています。
知人が アーユルヴェーダのカウンセリングを本格的に始め
去年の終わりに 目の相談をしました。
知人だけど ここ数年間 連絡を絶っていて それは彼の
コロナイザーマインドが かなり煩わしいからです。
コロナイザーマインドとは 植民地化を行なったものたちの
思考のことです。ハワイでは これを haole(ハオレ)と呼び
基本的には 白人種がこれに該当します。
彼は広大な牧場を経営する祖父を持ち、母親はアパート経営に
成功しており 継父はUSDAと契約のある弁護士で‘かつ事務所を
経営し 日本に輸出する米などの管理に大きく関わっています。
経済的に裕福な家庭で育ち イギリスの大学を卒業し そのまま
イギリスの石油会社に勤めました。私が 出会ったのはその頃で
彼が母親の所有するリゾートハウスに来た時に 知り合いの紹介で
その家にマッサージに行ったのがきっかけでした。
当時の彼は かなりのストレスにさらされ それがどこから来る
のか自分でもわかっていない様子でした。
石油に関わる仕事ですから アフリカの危険地帯と言われている
ところに出向くこともあったようです。
が 危険地帯というのは 実は危険だということで人を遠ざけて
いるだけというのが私の見方です。そこでは公にしたくない 資源の
発掘がおこなわれている。しかも爆撃という形で大地の表面を破壊
できれば 掘削も楽かもしれません。
その彼に ロンドンの銀行家たちの話しをしました。彼の住んでいる
世界が実は彼の思っている世界とは全く違うことも指摘しました。
その話しの中で 思い当たることが沢山あったようで それから間も
なく 彼は会社をやめました。
その後 インドの貧しい村に 新しい電力供給の下地を作ろうと
仲間と奔走していたのですが 国の経営する電力会社の許可がおりず
プロジェクトは座礁し ついには望んでいないアメリカに戻って生活
するという選択を強いられました。そんな中 インドでの生活を生かし
アーユルヴェーダを学ぶことになります。
連絡を絶ったのはその頃です。会うたびに インド人の狡さを私に訴え
彼らはいつかカルマによって制裁されるというのです。
私にしてみれば 狡いのはあなたたちでしょ?といつも思います。
例えば 東洋のあらゆる知恵がアメリカ社会に入ってきました。
ヨガ、鍼灸、指圧、マクロビオティック、太極拳などなど そして
アーユルヴェーダもその一つです。が 根本から解釈している人が
どれだけいるでしょう?
ほとんどのアメリカ人は 表面を真似るだけで それらの叡智が万物の
繋がりを理解した上で成り立っているものだというところまでは 至らない様子です。
にも関わらず、先手を打って 先生の立場に成り上がる人たちは それをビジネスチャンスにすり替え ぼろ儲けしていく。それ自体が 植民地化政策をするものとなんら変わりはありません。人のものを自分のものにすることで 利益を上げていく。蓋を開けると やっていることは薄っぺらい。

連絡を絶っていた知人に 再び連絡をするきっかけになったのは 彼の
母親と会った時 最近彼が、犬の目の治療を始め 犬の状態が好転していると聞いたからでした。
東洋医学は 脈診が基本です。
だから病院に行くと 医者は脈を取り 心音を聴き 舌を確認するのです。今ではどうか分かりませんが 私が日本にいる頃はそうでした。
そして大抵の医者は どんな状態で行っても 腹を触診します。
それはあらゆる病気の元が 消化力に関わっていることを知っているからではないでしょうか?
アメリカの医者は 患者に触れません。それで薬を処方したりするので
最初は驚きました。たまたま私のかかった医者が そうだっただけかもしれませんが。かれこれ15年以上 医者にはお目にかかっていないので
今はどうでしょう?
アーユルヴェーダも 伝統的中国医学も 脈を取ります。
脈から内臓の状態を知ることができるからです。
が テクノロジーを駆使した 画面上では 脈診できません。
彼が こちらに来たときに 直接問診をしてもらうと思っていたのですが
最近は ハワイにはなかなか行かなくてと 嘘をつかれました。
つい最近だって来ていたのは 母親から聞いて知っていたのです。
とりあえず 言葉による説明を判断材料に目薬と 消化器官などに 
不必要に溜まっているであろう粘液を浄化するハーブが 送られてきました。
問診の際に 目の異常が コロナワクチンと癌治療を同時にしている人の
体から出ている揮発性の何かに目が沁みてからだと言った時 話しを遮られました。
そして一方的に 僕にコロナのことを話させたら長くなるから 話させ
ないでというようなことを言われました。
多分彼は言葉の端を掻い摘み 私が言おうとしていることを勝手に
決めてしまったのです。私がコロナは存在すると思っているとでも
思ったのだと思います。
その揮発性のものが 神経に影響したのか 粘膜に影響したのか 私は
その部分について話しをしたかったのですが 会話はそこには戻りよう
がありませんでした。イベルメクチンを取ると 一時的に良くなるみたい
とも言いかけたところで あんな信用できないものを世界に広めて
インドのカルマは深いとも言われました。
が 時間をかけて学び カウンセラーとしての地位を得た彼を 敬う気持ちから 私は聞く側に周り その後 スクリーン上でのミーティングを終えました。
後日、送られてきた目薬を使用して数日後 目薬の出があまりに悪く 
中身が固まっているような気がして 目薬の入っている箱を確認すると 
なんと一年前に期限が切れているものでした。
それが目の状態を悪くしたわけではなかったのですが 一応彼に連絡しました。すると薬の効用がより液体に染み出していいことじゃない?と
あっけらかんとした答えが返ってきました。
ズルくて嘘つきだとインド人を罵っていた彼が 今やそのインド人たちの
性格をインストールしたかのように 飄々としているのです。
そして どうして 彼と連絡を絶つことになったのかという 振り出しに
戻ったのでした。
カウンセリングを受けたときに ギーを飲むクレンズも勧められましたが
冬にするクレンズは 体力をかなり落とすので 常識としては 2月の
毒出しの季節までは できないと思うと言った私に TikTokに自分の
クレンズの動画をあげたから見てと ビデオが送られてきました。
そこには 数日ギーを大量に摂取したせいで 顔が油っぽくギラギラしている彼が カップに定められた液体のギーをさらに飲みこむ 苦痛の
表情が ルームライトをバックに映し出されていました。
なぜその姿を 映像にしてシェアしなくてはいけないのか理解に苦しみ、それを見ている自分の意味のなさにも呆れ 途中でオフにしました。苦痛を映像に映し出すというのもSM的ですが それを さらにランダムな他人とシェアすることに陶酔するのもSM的です。
世の中には 本当にいろんな人たちが存在します。
人はなんらかの要因で 必要以上のエネルギーが流れ込むと 正しい
コントロールができず フリークになるんだと私は 解釈しています。
要は エネルギー負けしてしまうのです。
身の程知らずとは そうした状態を戒めるための言葉だと思います。

アーユルヴェーダに関しては カウンセリングする立場にある人は 
アビヤンガという 体質に合わせたハーブを混ぜたオイルで 全身の
マッサージも行います。
そのことを 彼に聞くと マッサージは 専属のセラピストに回して
いるということでした。その理由を聞くと マッサージは 自分にとっては とても性的なもので 自分ではできないというのです。
マッサージセラピストを20年してきた私には 驚きの言葉でした。
確かに 一人の人間が持つ 性的な部分と精神的な部分を切り離すことはできません。が 治療する側が 一線を引くことは可能です。
そうしないと セラピストの意図が クライアントの感情やエネルギーに
影響するからです。仕事をしているのは私ではありません。背後にある
偉大なエネルギーが 私の手を通して人々に働きかけるのです。
それだけです。テーブルの上に横たわる人が 美人だとか ハンサムだとか 筋骨隆々だとか そんなことは単なる物質に過ぎません。
人生の時間のあるかぎり 彼には伸び代があるのでしょうが やはり
もう連絡はしないだろうということが 明らかになった出来事でした。
ちなみに 期限の切れた目薬はさっさと捨てて アマゾンから期限内の
ものを購入できました。
それも 時々しか使っていません。
目の状態は 大気中に散布される何かが増えると 調子が悪くなります。
その何かは 雨を降らせるための雲のもとになるものと 太陽光を遮ると
いう表向きの理由で 空に散布されているものです。

時々人は 過去に置いてきたものを 再び手に取り その時の自分の
考え方や感じ方のせいで 誰かを置いてけぼりにしたと 自責の念に
かられます。でも 自分の中の“未来を見通す目“が “現在“に判断を下して
いるだけなのです。
私はただ ここ数年続いている ギランバレー症候群にも似た 目の
状態を改善できるきっかけを求めていたのです。

話しは変わりますが 今 外は嵐です。
風が横殴りに吹くせいで 雨も横に降っています。
川のそばに住んでいるので 二日前から 大家が氾濫を考慮に入れ
迅速な対応をというメッセージを テナント全員に送ってきました。
そして もうすぐ出勤。こんな日に マッサージ来たい人がいる
のも 結構なことです。
この天気をもたらす原因になった 空中散布は 私をうつ気味にします。
昨日は 全くやる気がありませんでした。
でも 流されてはいけないと とりあえず 強風の中 近くの公園まで
波チェックに行くと 高齢者たちが 天候にも負けず いつものように
ウォーキングに来ていました。その中には 私にクライアントも何人か
いて その姿にモチベーションが上がり 家に戻って 少しワークアウトして汗を流しました。
身近に置いておきたいのは そういう人たちです。

私自身 ある人にとっては 最初の話しの中の彼のような存在で
またある人にとっては 公園をウォーキングする高齢者のような
存在なのかもしれません。
あらゆる状況は刻々と変化するので 正しいことは一つだけとは
限らないし 何が完璧かというのも常に変化します。
ただ より自然でいれたら それでいいと思います。
太陽のようでいれたら 陽の温もりを必要とする人のためになり
夜のようでいれたら 闇の中で安らかに眠れる人のためになり
なんだか 宮沢賢一の雨にも負けずのようになってしまいますが
そういうものに私はなりたいということで 今日は締めさせていただき
ます。
自然体テーマは 次回にもう少し書きます。

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