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掌編『私の隣人』

 三月ほど前から、アパートの玄関先に一匹の蜘蛛が巣を作っている。天井から糸を垂らして、外廊下の柱と柱の間に網を貼り、今日も獲物を待つ。 

 初めて見かけたのは大型の台風が過ぎた翌日のことだったと記憶している。恐らく風雨を逃れて来たその蜘蛛は、見事な巣を私の玄関先に作り上げていた。
 台風一過の青空のもと、雨だれにたゆんだ銀糸がちかちかと反射する。
 そのきらめきを眩しく感じて、私は蜘蛛の巣を壊さず、そのまま見守ることに決めた。

  彼(あるいは彼女)は、いつだって張り巡らされた糸の真ん中に陣取り、来るかもわからない食べ物をじつと待っている。

 一度だけ、彼が動いているところ見たことがある。
 朝、家を出ると、彼は穴の空いた巣を繕うように、縦糸と縦糸の間を繫いでいた。夕暮れ家に帰ってくると、彼はすでにいつものように糸の中央に陣取って、静かに獲物を待っていた。朝に穴が空いていた部分は、美しい幾何学で埋まっていた。

 もし、私の低い身長を、彼の巣が掠めることがあるのならば、どうにかしようと思っただろう。だが、彼はどうやら弁えているようで、彼の巣はいつも私の頭上すれすれで止まっている。
 そんな彼の取る距離感が、少しだけ心地良いように感じた。

  今日も彼は、広げた網に秋風を受けて糸をたゆませている。美しい彼の紡ぐ幾何学が、いつまでそこにいるのかわからないが、それまでは互いに良い隣人であろうと、家を出るときに挨拶をする。
 彼は静かに、狭い世界の真ん中で今日も何かを待っている。

(181110)

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なぜだかとても体が重いので、かつて書いたものを再掲。ちなみに彼はこれを書いた数日後に跡形もなく居なくなっていました。すこし悲しい。

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