私たちは獣を着て生きている(200105)
ふつふつと、鍋が鳴き声をあげている。どんな様子かと、大きな蓋を持ち上げる。まっしろで綺麗な湯気が立ちのぼり、獣の香りが部屋を取り囲んだ。
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正月のバタバタも過ぎ去って、手土産やらお年賀やらで頂いたお菓子をつまむ日々が続いている。御馳走続きの胃は休息を求めており、給仕続きの体は楽しみを求めていた。
今日の夕飯は、サラダとレトルトカレー。手抜きをすると決めてしまえば、こころは軽やかに、なにかやろうという気にもなる。
さて、どうするか。寝ぼけた太陽を浴びながらカフェオレを啜る。
そういえば、初売りで行った手芸屋さん。安くなっていて思わず手に取ったウール100%の毛糸。それに、冷凍庫の奥にこっそり溜めて置いたアボカドの皮と種。
せっかく晩御飯を作らなくていいのなら、今日は少し大仕事をしようと、腕まくりをした。
アボカドで、布がピンクに染まる。
初めて知ったときは、随分と驚いた。コーヒーや紅茶のような、身近なもので布を染められるのは知っていたが、意外なところにも色というのは隠れている。草木染というのはとても興味深い。身近なものから淡い色が採れるということは、不思議で、でも当然のことのようにも感じる。
ウールを染めるのは初めてで、あれこれと調べると、フェルト化をしないように温度管理が大切だそう。家中の鍋を総動員して、ウールを煮たり、皮と種を煮たりする。今日一日は、キッチンが工房になる。
染める毛糸をゆるく糸でまとめて、先ずはぬるま湯に浸けて置く。次に焼ミョウバンを溶かした媒染液に浸して、ゆっくりと時間をかけて温度を上げる。
コンロの前で菜箸を片手にあれこれとする様は、どこか魔女のようで心がおどる。布が染まる様はすこし魔法じみていて、手ずから物を作る喜びがある。
ふつふつと、温度が上がってきた鍋の蓋を取ると、野を行く獣の匂いがキッチンに満ちた。
ふいに、かつて訪れたニュージーランドの牧場を思い出す。
羊の毛刈りを見学したときの、あの特有の動物のかおり。野を食み、駆けるひつじたちの、その体を借りているという不思議な感覚。
本当に、考えて見れば当たり前のことなのだ。
私たちは、常に自然を借りて生きている。今着ている服。麻も、綿も、絹も。そしてそれらを染めている素材も。本来は、自然の中で草を摘み、木の実を煮、あるいは命を狩って、わたしたちは生きている。
ごく当然のことで、だけれども、実感として感じることはあまりない。
技術の革新は素晴らしく、私たちの多くは『生活する』という行為の大部分をスキップして暮らしている。例えば布、食べ物、あらゆる日用品。身の回りには、作り方を知らないものがあまりにも多い。
本当にありがたいことで、同時に恐ろしいことだなとも思う。
私は、世界のことを知っているようで、本当は何一つわかっていないのかもしれない。そんな、畏れにも似た感覚。
アボカドの皮と種を鍋で煮だすと、最初は茶がかった色が出る。一度湯を変えると、今度は少し赤みがかっている。桜で採るトキ色は、何度も煮だして色を出すという。私はまだアボカドから綺麗なピンクを出すこともまともに出来はしない。古の知恵は、素晴らしい。
出来上がった染液にゆっくりと毛糸を浸す。淡いベージュのピンクが染み入っていく。上手に染まるだろうか、どんな色になるだろうか。不安とわくわくが同居した、幼子のような心持ち。
翌日、染め上がった糸を濯いで、陰に干す。少しくすんだ、でも柔らかい色に染まった。満足いく色とは言えないが、味があって好ましい。
さて、何を編もうか。
あまり得意でない編み物も、自分で染めた糸ならば、すこしは上達するというもの。
もう少し待てば、春が来る。春になったら、蓬でも染めて見よう。ああ、今年は藍を植えてみたいな。
まだ冬は続くが、心はもう春のことを考えていた。
〇
一から物を作ることは、一から生活を作ることに他ならない。
私たちは、獣を着て生きている。
ウールという成分表示の文字の向こうに、生物がいる。
そのことを、忘れずに居たいものだな。
もう獣の残り香がしない毛糸を見ながら、そんなことを考えていた。
なにか毛糸二玉分で編める、簡単で身近なものってあるだろうか。
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