人は羽ばたけない。

名鉄本線の車窓からは、白い鳥が見える。
その鳥が数回羽ばたいたら、電車は地下へと潜る。車内アナウンスがもうすぐ名鉄名古屋駅に到着することを告げている。

  〇

車がないと不自由な地域で生まれ育った私にとって、電車での外出は、とびきりのお出かけだった。駅のホームに滑り込む車両、窓の外を飛んでいく風景、老若男女様々な乗客。そのどれもが物珍しく映る。キョロキョロと落ち着かずに、母に叱られたことを覚えている。
目的の駅が近づき、車内アナウンスが乗換案内を流しはじめると、自然に視線が窓の外へと向かった。
しばらく過ぎ去るビルを眺めていると、ガラス張りの渡り廊下のような長い通路が現れる。

まるで線路と並走するように伸びるその廊下には、羽を上下させて飛ぶ白い鳥が描かれた壁画が、何枚にも渡って飾られている。その横を電車で通り過ぎるとき、さながら自動再生されたパラパラ漫画のように、白い鳥が羽ばたいて見えるのだ。

幼いころ、母に連れられて電車で街へいくとき。この鳥のアニメーションは、私にとって都市に到着した合図だった。
朗らかに羽ばたく鳥を車窓から眺める。だけれども、ガラス張りの向こうはどこか気だるげで、少しだけ陰鬱な空気を纏っているように感じていたことを、よく覚えている。

ガラス張りの渡り廊下を歩くパジャマ姿を見つけて、そこが病院だと気づいたのは、少しばかり大きくなってからだった。

  〇

幼いころはずいぶん遠くに感じた隣町も、大人になってみればなんてことないものだ。数十分の電車旅で着く都会は、大抵のものは揃うし、病院も学校もある。この街を歩くのにも随分慣れて、駅ビルに入っている店ならば大方把握までしている。

通院のための電車旅も、手元の端末や本へと目を落としていると、あっという間に終わる。幼いころに感じた、いつまでも目的地に着かないあの奇妙な感覚を味わうことも、もうない。キョロキョロと乗客を興味深そうに観察することもなくなった。

名鉄本線を走り抜けた車両がもう少しで名古屋駅へ着こうとするとき、ふと手元の本から窓へと視線を移す。
そこには、ガラス張りの廊下。昔は青を背景に飛んでいたはずの鳥が、いつのまにか黄色を背景に、それでも変わらず羽ばたいていた。
色のせいだろうか、かつて感じた陰鬱さは薄れており、自分の記憶の中の景色が勘違いだったではと思う。

車内アナウンスが乗換案内を告げる。本を片付けて降りる準備をしようと、手元に視線を戻そうと思ったとき。
明るいガラス張りの廊下に立つ、一人の男性と目が合った。

じつと、過ぎ去る電車を見る男は、上下に青い寝間着を纏い、入院患者のよそおいをしていた。
ほんの一瞬のことで、彼から私が見えているとも思えない。それでも確かに、目が合った気がした。空虚を映したような、その瞳と。

言いようのない空気が、足元へとまとわりつくのを感じた。
覚えがある、それは入院しているときの、あの空気。病院から去っていく車を、病室から見ていた時の、あの感情。

どこにも行けないと言う、無力感。

その瞳の奥に、いつかの自分を見た気がした。

  〇

電車は過ぎ去っていく。
彼の背で、白い鳥が飛びたつ。

せめてあの鳥だけでも、どこか遠くへ行けることを願った。


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