月刊はつかのnote/2020年8月号
ある日、ふと気が付くと蝉の音が止んでいました。代わりに、庭の草木のあいだから、チリチリ、リリリ、ジーコジコ。秋を奏でる音楽隊が、いつの間にやら調律をするように、あちこちで演奏をはじめています。
今年の夏は、とても短かったようです。
日中の暑さはあるものの、自然は次の季節へと歩を進めているのを感じます。
日中は入道雲が沸き立つ空も、朝夕には薄紅色の砂絵を描いています。
そういう空を見つけるたびに、止められない時間の流れに置いて行かれるような、妙な感傷を抱きます。
そんな、夜長月です。
総観
八月の記事数があまりに少なくて、奇妙な感じです。
それはつまり、自分の感情を言葉にする努力を怠ったということじゃないのかと、ここ数日考えておりました。
感情と言葉のあいだの、溝のようなものが、日々少しずつ開いていくのを感じています。『筆力も腕力』というような言葉を、先日目にしました。本当にその通りだなと、少しだけ錆びついた言葉を弄りながら、感じています。
究極、誰のためでもなく自分のために書く。そういう思いを持っている筈なのに、ふと忘れてしまうことがあります。上手く書きたいと思ったり、たくさん読んでほしいと思ったり。目的をはき違えないように、あらためて襟を正す気持ちでいます。
文章は、豆腐みたいなものだって、以前自分で書きました。美味しい豆腐屋さんには、美味しいおからがあるものです。美味しいおから、読んでもらえたり感想を貰えたり、そういうことはとても嬉しいけれど、美味しいおからのために豆腐を作っているわけではない。
そのことを、どうか何時までも忘れずにいられますように。
八月の『はつかのおすすめnote』
〇病気になってよかったなんて、ちっとも思えない。
ひどいコンプレックスを抱えて、今日も生きている。
〇『不正解』で出来ている。
例えば何か伝えたいことがあるとして。
どうやったらこの気持ちが、私じゃない誰かに届くのだろう。
手を離した瞬間、あてどなく流される風船のように届くかわからないものを、それでも届けたいと願う。
けれど上手くいかなくて、いつだって白紙の前で、私は立ち往生している。何を恐れているのかと問えば、きっと私が恐れているのは『間違える』ってことなんだと思う。
〇【短編小説】私たちが失くした二万Hz。
成長するにつれて、私たちが多くの物を置いていく。
カエルが跳ねれば捕まえて、蝶がひるがえれば追いかける。そういう衝動や、眼差しを捨てて、大人になる。
ブランコがあれば駆けて行き、ソフトクリームが売っていればはしゃいで食べる。山のようにそびえる雲に目を奪われ、夜空のように深い海に思いをはせる。
日がのぼり、沈む。その運行にときめかせていた心を、私たちはどこに置いてきてしまったんだろう。
〇ずたぼろでも、書く。
ずたぼろでも、書く。とにかく書く。
馬鹿な私が私を救う手立てって、それしかないんだからさ。
おわりに代えて八月まとめ報告書、ほか。
そういえば、名字を付けました。
改めまして、帆風はつかと申します。帆に風を受けて、文章と人生の航海へいく。そんな気持ちになれるよう、思いをこめました。
今月は、出来るだけ毎日書きます。もしお時間あれば、訪ねてくださると嬉しいです。
八月はこんな感じでした。
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