全部全部、私の人生の一部だから。
一つの事に専念して、なにかに集中できることがいいとされている。
だけれども、どうにも私には難しいみたい。
まるで幼児のように、興味があればあっちへこっちへ。試してみなければ気が済まない。
そんなこんなで、多趣味と言えば聞こえが良く、飽き性の節操なしと言われてしまえば言い返すこともできない。
そんな自分でも愛したいって、声を大にして言いたいんだ。
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昔から工作が好きだった。ドングリや落ち葉を拾ってきて、紙粘土で造型して。十本の指から、物が作りだされることに、心底わくわくした。
絵を描くことも好きだった。
クレヨンや、色鉛筆。観察すればするほど、物の形は変わり、この世に主線なんて存在しないことに驚愕する。絵を描くことは、世界の当たり前を壊すことなのだと、小学生の時に綱引きをする自分の手を描きながら感動した。
そういう、生み出すということを忘れたのは、いつなんだろう。
手のひらから、物が生まれる。
その不思議を、自分の身で体感したくなったのかもしれない。
休学して一年の間に、私が手を出したものは数知れず。草木染、レジン、編み物、刺繍。綿花栽培に、藍の栽培。
それから、物書き。
それら全部がどこにつながっているのか、いつの頃からかうっすらと気づいていた。すべての原点は子供の私に。まだ背が低く、世界のあらゆるものが真新しく映ったあの頃に、繋がっているようだった。
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幼いころの夢を聴かれると、とても困る。
ないからじゃない、ありすぎたから。
なんにでもなれると思っていたし、なんでもやりたかった。
絵を描きたかったし、物語を書きたかった。物を作り出したかったし、音を奏でたかった。
その全部は無理だとしても、手元の一個ずつから、拾ってもいいんじゃないかなって、今はそんなことを考えている。
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少し前、minneとnoteを連携させた。その怖さについて、智春さんとの往復書簡でうだうだと管を巻いたら、とんっと背中を押していただいた。
先に進むのが怖いからといって、先に進むことを止めたら、足の裏から膿んでいくような感覚に脅かされ、それはそれで恐ろしいものです。
この一文に、奮い立つ思いがした。
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ここはnoteで、私は文章を書いている。
でもそれ以外の表現をしてもいいんじゃないかなって、そう思う。
文章だけじゃなくていいし、文章だけでもいい。
物を作ってもいいし、作らなくてもいい。
全部全部、私の人生の一部で、生きてるってことの一部。
ここは私の独壇場。好きに舞うから、好きに見てってよ。ね。
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帆風はつかの、お店。なまけ堂。
和歌をモチーフにアクセサリーを作ったり、
自分で染めた糸でアクセサリーを作ったり。
ここまで来てくれてありがとうございます。ついでに「すき」していただけると、逆立ちして喜びます。ボタン一つで手軽に告白。おまけつき。 minneでアクセサリーを販売してます。ナマケモノのお店、なまけ堂。のぞいてってね。https://minne.com/@namakedou