月刊はつかのnote/2020年9月号
今日は中秋の名月らしく、母が芋を炊いていました。
気が付けば稲穂が頭を垂らして、黄金色に揺れています。
綿花が弾け、マリーゴールドが咲き誇り、堤防沿いの桜並木は木の葉で埋まっております。
昼の太陽に暑さを感じつつも、夜の肌寒さが濃くなりつつある、この頃。
心地よい孤独を感じるのに、ちょうど良い風が吹いています。
そんな神無月です。
〇
総観
八月に書いた記事が少なくて、九月は感情と言葉のあいだの溝を、たくさん飛び越えようとしておりました。
そんな中で書いた文章に、ふみぐら社さんが応えてくださいました。
ふみぐら社さんの文章は個人的にとても大好きでして、毎日ひそかに楽しみにしていたこともあって、凄くうれしかったです。
生きるのには向いているかもしれないけれど、社会はたぶん向いてない。
その言葉に凄く共感できて、『ああ』と一人声を漏らしていました。
昔、ボーイスカウトに参加しておりました。
そこで私は、竹と紐だけで机やカマドを作り、川の水を飲み、鶏を捌く経験をしました。
森の中は涼しいことも、夜は驚くほど暗いことも、虫の声も動物の足音も。
色々なことを学びました。あれは、『生きる』そのものの、そのほんの一かけらの体験だったのだと、今になって思います。
社会は複雑怪奇で、だからこそ興味深い連鎖反応や、想像もできないような面白いことが起こるのだと思います。
だけどときに、その情報量の多さに、圧倒されてしまうのです。
夜の森に、虫の音とカマドが燃える音が響く、あの静かでどこまでも広い夜を、時折私は恋しく思うのです。
九月のおすすめ『はつかのnote』
〇感情的になる、の入り口で
本当に些細なことなのだ。私が折れればそれで終わりで、意固地になる価値もないような、そういうこと。
それでも意地を張って主張を通そうとするのは、家族だからだろうか。家族だったら、我を通していいことになるんだろうか。
それは結局甘えだと、私は知っている。
〇余白を怖がるという病
脳味噌の裏に忍び寄る、鬱々とした思考を追い出すために、常に耳を塞ぎ目を釘付けにし、情報の嵐を巻き起こして、自分をだまそうと試みる。
どうせ、うまくもいかないのに。
〇恋しい宇宙船
映画を頻繁に見る方ではない。映画館へ向かうのは年に数えるくらいだ。
それでも、映画館という存在を好ましく思う。特に、二時間なら二時間、外界から隔絶された宇宙船の中にいるような、あの時間。世界から切り取られたあの暗闇。私はあれが好きなのだ。
〇母は三歳児だから、空を竜が泳いでいる。
「私三歳児だから、いやいや期だから」
朝、リビングの机で母がそう言う。
〇全部全部、私の人生の一部だから
ここは私の独壇場。好きに舞うから、好きに見てってよ。ね。
終わりに代えて、九月まとめ報告書。
九月はこんなかんじでした。
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