スマホを忘れて、ノートを買った。
病院の予約は十二時からだったが、家族の都合で九時には地元の駅のスタバにいた。
注文したカフェオレを受け取り、壁際に設置されたソファに腰を下ろした。荷物を乱雑に詰め込んだトートバッグの中を漁り、読みかけの本を取り出し机に置く。それから、もう一度ごちゃっとしたバッグの中を覗いて、スマートフォンを探したが、見つからなかった。
スマートフォンを忘れたのは久しぶりのことだった。
病院の予約は十二時。まだ三時間ほど余裕がある。スマホを取りに自宅に戻っても、おそらく診察時間には間に合うだろう。
一瞬だけ腰を上げて、やっぱりもう一度ソファに座りなおす。
手元には財布と診察券。それに読みかけの本が数冊。電車の発着時間は時刻表を見ればいいし、地図だって頭に入っている。
本と財布。それ以外に何も必要がない気がした。
〇
情報が常に流れていく時代。言葉は止まってくれない。
私たちは無自覚にあまりに多くの言葉に触れ、生きている。
流れてくる140字、写真、動画、ニュース、通知音。それらから切り離されて初めて、如何に多くの雑音のなか呼吸をしていたのかが分かる。
本の中の文字はスクロールしない。更新もされなければ、話題が流れていくこともない。
本の中には、静寂が住んでいる。
〇
電車のホームで、それから人の少ない車内で。本を開いて文字を追っていると、次第に身体がむずむずとし始めた。最初は、スマホがなくて落ち着かないのかとおもったが、どうにも違う。
文字を追えば追うほど、不思議と身体の中から言葉があふるようだった。
それは、些細なこと。
車内から見える木曽川の、川面に映る電車の影。後ろへ飛んでいく踏切の、どこか郷愁を誘う音。緑を濃くする稲穂の海の、分け入る風の足跡。
五感と言葉のつながりが、いつもよりクリアになるのを感じた。
端から零れ落ちる言葉が、身体中を覆ってむずむずする。どこかに、これを書き付けないといけない。そんな脅迫にも似た気持ちが沸き上がる。
駅に着いたら、本屋でノートとペンを買おうと決めた。
〇
新しいノートとペンをカバンの中に入れると、身体のむずむずがゆっくりと落ち着きを取り戻すのを感じた。不思議なことだ。
情報を得られず、世界と繋がれないことより、沸き立つ言葉を書き付けられないことのほうが不安に感じるらしい。
細切れの言葉が、汚い字で並ぶノートを眺めながら、静寂の必要性をあたらめて感じていた。
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