普通に生きてほしい、と母は言った
普通って、なんだろう。
きっと五億回はだれもが人生で問い続けていることで、今更私がなにを書いたって、その答えは決して見つからない。
これはありきたりな回答なのだが、普通なんて、存在してない。
きっと、世の中を生きる人全員の『普通』の部分を持った人間なんて、いないんじゃないだろうか。
『普通』というとき、最大多数が通る道を想像する。例えば、大学進学。就職。結婚。子育て。しかしまぁ、それらすべてをバランスよく『普通に』こなせる人なんぞ、この世にはきっと存在せず、それぞれがそれぞれの地獄を生きている。そして、それぞれの地獄を回避したものが『普通』だとすれば、『普通に』生きている人は、全く普通じゃないぐらい幸福ではなかろうか。
「普通に生きてほしいだけなのに」
母の言葉を聞きながら、そんなことを考えていた。
パジャマで顔を擦りながら、のどの奥から絞り出すように出された声。嘘混じりけの無い言葉なのだろう。そう感じることが出来るほどに、私は冷静に考えられる大人になっていた。膝を抱えて座る母の姿は、幼子のそれと全く同じだ。筋肉も脂肪も落ち切った体は、細くて弱弱しい。
いつから、母はこんなに小さくなったのだろう。
そんな、小説やエッセイに頻出するような言葉が脳裏をかすめた。
きっと違う。母は最初から弱かったのだ。強かった時などなく、弱く、繊細で、常になにかに怯えていた。
『普通に生きてほしい』
それってなに?そう聞けば、母は迷いながらも従弟の名前を挙げた。
普通に、年齢通りに大学を出て、就職をする。それが母の言う普通らしい。
でも、思うのだ。私は従弟の事を何も知らない。幼いころから共に遊び、仲は良かったが、彼の生活を何も知らないのだ。
どんな恋愛をしていたのか、どんな学生生活を送っていたのか、どんな問題を抱え、どうやってそれを解決して来たのか。何も知らない。
本当に彼は普通なのだろうか。
彼には彼の地獄が、きっとある。
何も知らないのに、彼の人生を普通の一言にまとめるのは、失礼極まりない気がした。
〇
私は、うまく生きられない。
自覚はあった。常にあった。
だから、なんとか母の思う世間体的にもセーフで、ギリギリ自分が生きられるラインを探っているつもりだった。
だけど、なかなかうまくいかない。
「まだ古典に未練があるの?」
母が言う。
あるさ、あるにきまってるだろ。馬鹿じゃなかろうか。
院にまで行って、あまつさえ、外部受験までして、落ちたらフリーターという地獄の二択を選択して、それでもやりたいと思ったことに、未練がないわけないだろう。
「普通に、働いたら?」
普通に、働ける体力があれば、おそらくこんなに苦しんでない。もう、十年同じことを言っている。同じ問答を繰り返している。
第二次成長期にもろ被りしたガン治療は尾を引いて、体力がない。おまけにバセドウ氏病パンチで、常にゲージは赤点滅だ。自分ではわかっていても、周りは分かってくれないので、頑張るしかない。頑張って、毎晩十二時まで研究室に籠って、それで体調を崩したのだ。なんなんだ、どうしろっていうんだ。此の体が私の普通の体なんだ。貴方と私は違う人間なんだ。分かり合えないことをわかってくれ。貴方が私のことを分からないという事実を理解してくれ。
頼むから、普通に生きろなんて言わないでくれ。
これが私の普通なんだ。
〇
これはひどい。チラシの裏側に書きなぐったエッセイみたいだ。
こういう叫びが、私の部屋のノートにはそこかしこにしてあって、実は捨てられなくて困っている。生きた証なような、大事な片割れなような気がする。
だから、このnoteも、本当はだれに見せるものでもないんだけど、消すのも忍びなくて残しておく。
っていうのはいいわけで、ジュマンジを横目に母親と話してたらエッセイ書く時間が無くなったので、起きたことをそのまま書きなぐってる。推敲も構成も何もない。人生の塊だ。紅茶の茶渋というより、出がらしの茶葉……。
中学生みたいなことを、いまだに考えている。
中学生から成長したのは、そのことを行き場のない怒りとして反抗するのではなく、こうやってアウトプットだけで処理できるってことかもしれない。
母に、あんたはいつ大人になるの、と言われた。
母が大人には到底思えないので、きっと私は一生子供のままだろう。
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