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網走・モヨロ貝塚館でリニューアル10周年記念企画展が開催中

理髪店を営みながら在野の考古学者として活躍された米村喜男衛氏がモヨロ貝塚を発見してから100年目となる平成25年(2013年)の5月1日にリニューアルオープンした網走市北1東2のモヨロ貝塚館で、リニューアル10周年の記念企画展が開催中だ。
展示では、近隣のオホーツク文化関連遺跡10ヵ所以上、約40点の資料がモヨロ貝塚館に集結。近年のオホーツク文化調査研究を振り返る。

会場 モヨロ貝塚館・地下展示室

日時 12月28日(木)まで
    午前9時~午後4時(閉館)
    月曜日・祝日は休館

入館料 一般大人300円、高校・大学生200円、小学・中学生100円(常設展の観覧料を含む)

というわけで、地下展示室で開催している記念企画展を見学してきた。その一部を紹介しよう。

資料協力は斜里町立知床博物館、美幌博物館、大空町教育委員会、東京大学大学院人文社会系研究科附属常呂実習施設、北海道大学大学院医学研究院、標津町ポー川史跡自然公園、オホーツクミュージアムえさしといった、近隣の博物館や施設など。

年表の一番下は「今日 モヨロ貝塚館来館」

オホーツク文化とは、古墳時代から奈良時代、平安時代のあたりまでモヨロ貝塚などで栄えたもの。その後、モヨロ人は内陸に移動し、擦文文化と融合したとみられるが、さらにその後の足どりはつかめていないという。ちなみに、アイヌ文化は鎌倉時代からのものでもっと後のことだ。

オホーツク式土器の数々
出土した刀やガラス玉、貨幣など

斜里町ウトロ西のチャシコツ岬上移籍から発見されたのが「神功開寶(じんぐうかいほう/じんこうかいほう)」。

神功開寶

チャシコツ岬上遺跡は、オホーツク文化終末期を中心とする拠点的集落遺跡として知られる。

カメ岩の愛称もあるチャシコツ岬

知床半島南西端から海に突き出た標高55mの岬状を呈する海岸段丘上に、8~9世紀にわたって31棟の竪穴建物や墓、廃棄場等の遺構が密集して営まれた。出土遺物からは、オホーツク海に広く生息する海獣の狩猟や漁労を主な生業とする、海洋適応民としてのオホーツク文化の内容が明らかになっている。
神功開寶は、続日本紀によると、765年(天平神護元年)に日本で鋳造、発行された銭貨という。皇朝十二銭のひとつ。
直径24㍉〜25㍉前後の円形で、中央には正方形の孔が開いている。銭文(貨幣に記された文字)は、時計回りに回読で神功開寳と表記されている。裏は無紋で、量目(重量)3g〜4g程度の青銅鋳造貨である。
神功開寶は、チャシコツ岬上遺跡の9世紀の地層から出土している。オホーツク文化圏の遺跡からの出土は初で、隣接していた擦文文化経由とみられ、本州側との交流があった証とされる。
チャシコツ岬上遺跡は、急な崖の上部にあり危険で、遺跡保護の観点からも当面の間立ち入りは不可。

その後、9世紀になって擦文文化に属する人々が道北に進出すると、道東地域のオホーツク文化圏は中心地である樺太から切り離されてしまった。その後この地域のオホーツク文化は擦文文化の影響を強く受けるようになり、独自の文化様式に移行していった。これが現在ではトビニタイ文化と呼ばれる文化様式である。名称の由来は、1960年に東京大学の調査隊が羅臼町飛仁帯(とびにたい)で発見した出土物から。
オホーツク文化やトビニタイ文化の遺跡からは、土や骨、牙などで作った熊の像がいくつも発掘されていて、熊を崇拝していたことがわかる。熊崇拝は、トビニタイ文化を経由してアイヌ文化にもたらされたのではないかとみる人もいる。

土や骨、牙で作られた熊の頭部や全身像

ちなみに、トビニタイ文化はその後、擦文文化に同化し、13世紀初め頃には姿を消した。
会場では、トビニタイ文化の土器なども展示されている。

擦文文化・オホーツク文化・トビニタイ文化の土器の違いは次のとおり。

擦文文化の土器=菱形ないし深鉢形。刻線文。
オホーツク文化の土器=壺形。粘土紐の貼付文(ソーメン文)。
トビニタイ文化の土器=形は底部を除いて擦文土器と同じ。紐状貼付文(ソーメン文)。

また、この3つの文化の違いは、竪穴住居にも表れている。

擦文文化の竪穴住居=隅が丸い四角。南東側の壁にカマドを設置し、中央部の床に炉を切っています。
オホーツク文化の竪穴住居=五角形ないし六角形。石組み炉を所有。
トビニタイ文化の竪穴住居=隅が丸い四角。石組み炉を所有。

モヨロ貝塚館内に再現されているオホーツク文化の住居

モヨロ貝塚館は、網走市立郷土博物館の分館で、モヨロ貝塚の復元模型やオホーツク文化に関するさまざまな資料を展示している。
また、年に何度かイベントの時に外の遺跡の特別公開がある。次の3枚の写真は2015年10月の「モヨロまつり」の時に撮影したもの。

竪穴式住居の跡
モヨロ人近縁の北方民族ニヴフの家
ニヴフの家の中。そこそこの広さはある

現在は積雪もあり外の遺跡のほうには行けないが、リニューアル10周年企画展を機会に見学してみてはいかが。28日までなので、年末の忙しい時ではあるがおすすめしたい。

【おまけ】
モヨロ貝塚館の受付の後ろがミュージアムショップになっている。個人的におすすめは、地元のあばしり遊人窯の製品で、こちらは以前買ったふくろうが描かれたぐい呑み。

今日購入したフリーカップと土器のミニチュア。

モヨロ貝塚館
 電話 
0152(43)2608

 ホームページはこちら

モヨロくん(非公式)の𝕏(旧Twitter)
https://x.com/moyoro_kun?s=21&t=teJBqUJGy8IerMwXpwuX9w
埋め込みできないのでアドレスをそのまま書いた。中の人はモヨロ貝塚館の解説員の方。

《参考》

札幌市中央図書館デジタルアーカイブ
「オホーツク文化の起源と終末」

AKARENGA
「北と南の文化が出会う—オホーツク文化・擦文文化」

のんてりさんのnote
「弥生時代がなかった北海道 知られざる「オホーツク文化」とは?」

斜里町立知床博物館
「チャシコツ岬上遺跡」

北海道Style
「知床で花開いたトビニタイ文化を知る」

文化遺産オンライン
「トビニタイ土器」

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大場 礼
地元網走に帰ってきて5年半経ちました。元競馬専門紙編集部員。サッカーや野球、冬はカーリングなどスポーツ観戦が好き。もちろん、競馬も話題にしています。時事ネタや網走周辺の話題なども取り上げます。よろしければ、サポートもお願いいたします。

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