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chapter7: 煩悩の数のビール

2019年6月27日。父が亡くなった。
看護士さんがその場を離れた後、父と娘、二人きりの時間を部屋で過ごしている。この時、私の中に悲しみはあったが、自分がこの後を仕切らねばならない。そんな事ばかりが頭に充満していた。一人っ子なので、親戚に助言は貰えても、結局、決めるのは私しかいないのだ。
そのとき母は、父の治療法がもう無いと医師から告げられて、その診察室を出た廊下で倒れ、脳梗塞のSCUに入っていた。

父だったら、どうしたら喜んでもらえるだろう・・・と考えた。結果、死に顔を整えることにした。お葬式では、良い表情で皆と会いたいよね、と。

案の定、家族水入らずの時間をホスピスが設けてくださった後、案内された次の部屋には葬儀屋さんが待っていた。びっくりするほどのダンドリの良さである。否応なく、その流れに飲み込まれていく私であった。

父は友達が多かった。だから賑やかにお葬式が出来れば良いとは思っていたけれども、私から数人に伝えたところ、見る見るうちに広がって、今晩のうちに打ち合わせに家にやってきますと連絡がきて・・・。皆さん善意で申し出てくださっているから、すべて断わらないことにした。当日、鉢合った場合には、譲り合ってもらえばイイやー。という事にしてしまった。会場の下見、お客様の導線の図などの打ち合わせが其々あり、遺影にまで思い入れで意見をいただいて、当日に配る年表の書き出しや編集、デザイン、校正など、私もヘトヘトながらに、作業作業。

そんな間に葬儀屋さんとの打ち合わせもあり、カタログを見ているうちに、最大の不安が押し寄せてきた。果たして、こんなに人を呼んじゃったけど、精進落しの寿司、幾らになるんだろう…。
こういうのを親戚に相談すると、恰好をつけたがるので、寿司は寿司でも「松」でしょ、みたいな話になりがちである。

そんなとき、気心知れている友人たちが、ご飯食べられてる?と、レトルト食料などを家に運んでくれた。
そのうちの一人に、ぶっちゃけ、寿司代がエライことになってしまう、どうしよう。と相談したら、巻き物で良いのよ!って言ってくれた。その一言に私は救われた。

その彼女は、父のお葬式には明るい色のほうが良いかなと、元気な向日葵のブーケを持ってきてくれた。お別れの時まで、父の棺で向日葵は輝いていて、きれいだった。

かくして父の葬式は大宴会となった。おかわり、おかわりといううちに、葬儀屋さんに108本のビール大瓶が空いたと言われた。何で煩悩の数なんだと思った。そして、このあと、私の銀行口座がマイナス時代を迎える。

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