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chapter6 : 1997年の写真随筆(1)

私がなんとなく思い立って、つらつらとnoteに書き始めた記録。
それは家族の記憶であるが、同じように私とだいたい同じ年頃に、父が書き残した写真随筆をひらいた。これも家族の記録。

”1997年、平成9年。私は49歳になった。
来年はいよいよ50歳。
まもなく半世紀を生きたことになる。
思わずブルブルっとする。
考えてみると私の人生、なんとも隙だらけ。
よくここまでやってこれたものだ。そう思うと、また震えがきた。
だけども、どっこい、わたしの周りは自分の好きなものだらけでもあった。
そんな好きなものの風景を、ひとつ記録に残してみようと思った。
そういえば、広告のコピーに「記憶は消える、記録は残る。」というのが
あったのを思い出す。
ところで、ひと昔前は「仕事が趣味」などという人が多かった。
この頃の私は「趣味が仕事」という発想で生きようと思っている。
とにかく好きなものに囲まれて、好きな人に愛されて、好きなことをしながら、勝手気儘に生きていけたらいいと思う。
そのためには、義務もゲームにできる才覚が必要なようだ。
そんなこんなで思い立ったのが、このスナップ・ダイアリー、
「LUCKY DAYS」である。
これは、日常をさりげなくアートしようという遊びごころが出会った、言葉のあるスナップたちである。"

”小田原市城山一丁目
この家に十字町から引っ越してきたのは、確か私が小学校4年生の時である。彼女と結婚をして高井戸に住み、娘が幼稚園の年長の時、北烏山の公社を購入し3年程住んだが、お袋に先立たれた親父の為に私は家族たちとまたここに帰って来た。
娘が小学校3年生の時のことである。増築をしてここで一生を過ごすつもりが、世の中なかなか儘ならない。
ここは、都市計画で道路になることが決まってしまった。お隣も引っ越し、そこは今、更地である。今まで目立たなかった老梅が、急に目立つようになった。
あまり目立ちすぎて狼狽してはいないだろうか…。
そんな我が家の庭には、親父の時代からの植木たち、彼女が育てるハーブや草花たちでいっぱいだ。”

LUCKY。幸運。それは又、わが家に11年ほどいる愛犬の名前である。
命名したのは、小学4年生の頃の娘。一人暮らしの老いた父との同居を決めて、集合住宅住まいの東京から、一戸建の実家に移り住むことに決めた年の、娘の誕生日のプレゼントとして、わが家にやって来たビーグル犬である。
この犬が、わが家に来たことで、家族の生活はガラッと一変してしまった。なにしろ留守番ということができない犬なので(そういう躾けを怠って、ひたすら溺愛)、例えば、家族で旅行をするにも、殆どラッキー同伴の計画を立てなければならなかった。もちろん家族揃っての外食などという習慣も、極端に少なくなってしまったのである。でも、それに余りあるほど良いことが多く、結局、この11年、どこかでラッキー様々なのかも知れないと、私たちは思っている。
そのラッキーの大きな功績のひとつに、お百姓さんから菜園を借りるひと助けをしたことがある。なぜなら、それは、畑の持ち主のおじさんに家人を紹介してくれたのが、散歩の途中でラッキーの友だちになった、サムという同じビーグル件の飼い主の奥さんだったからだ。
そして、都会育ちの家人が、農作業にどっぷりと浸かるようになったのは、それからまもなくのことだった。ラッキーの散歩と畑仕事。いつしかこれは小田原暮らしのわが家の必須アイテムになっていった。
こうして私たちは、この菜園で野菜を作ったり、ハーブを育てたりの、約7年間に渡る「緑の時代」を迎えたのである。

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