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不知の自覚というらしい
おはようございます。こんにちは。こんばんは。
はっとりんです。
(今回だいぶまとまりのない感じになっちまいました…)
ま、サクッといきましょう。どうぞ。
いーきなりで、す、がー(楽天カードマン)
みなさん無知の知って聞いたことあります?
哲学のなんかやろ〜?くらいの感覚の人もいればよく知ってる人もいるかと思いますが、なんかあれ誤訳説とか間違ってる説あるらしく、いろんな風に言われてます。
専門外なので興味ある人は調べてみてください!
一応わたしが見たYouTubeのリンクだけ貼っときます。
で、本題はここからで、哲学の話じゃなくてはっとりんの話です(笑)
ここ数回の投稿でも書いている通り、わたしは今時間に余裕があるんですね。
だから多分いろんなことを吸収する余白みたいなのが前よりあるんかなって思ってて、いろいろ興味がわくことがあるんです。
そんな中でふと思ったことを書きます。
個人的な意見なので反対や批判があれば教えてほしいです…。(というかみんなはこんな時どう考えてるんかなって気になります)
勉強したり、読書したり、
ニュースを見たり、人の話を聞いたりして、
知らなかったことを知ったとき
知らなかったときの自分が嫌になって、
今も知らないことばっかりの自分に気づく。
そしたら、
こんな何も知らん自分が何かを発言していいものなのかって思ってしまう。
と、まぁこんなことなんです。
受験勉強とかのときもさ、勉強ちょっとしかしてなくてやり始めの時ってどんどんできるようになる自分に、やべぇ最強やんって思うやん。
でもさ、どんどん深くやっていくうちに抜け落ちたり全然できてない自分に気付いてめっちゃ焦ったことある。
それと同じ感覚かもしれない。
ちょっと違うかもしれない。感覚的に。
ちょっとしか知らないとか、全く知らないって状態やったらベラベラなんでも言えるけど、知れば知るほど知らない自分に気付いて怖くなる。ナニコレーー
感じたままに言葉にするとこんな感じです。
そして、自分の中でこの思いをもう少し考えてみました。
現在(2019/12/17)のはっとりん論での答えは、
知らんことだらけやんって不安になることは、
傲慢さをコントロールするブレーキみたいな役割なのではないだろうか。です。
で、過去の自分の行いを省みると、このブレーキが備わっていなかったことでアクセル全開ブイブイいわせて傷つけた人たちが浮かんだのです。
本当にごめんなさい。
と、伝わらないかもしれないごめんなさいを書いてます。
未熟な自分を自覚することがこんなに大切だったとはって痛感してます。
たぶん大学生活で得た一番大きな学びです。
ちょっと話は変わるけど、
いつも今の自分が100点って思うように生きてるんです。
でも、今の自分から見て過去の自分に100点はあげられないなってこともしばしば。
だからといって、2年前の自分がその時の自分にあげた100点を取り上げることはしません。
常にアップデートしていけばいいかなって思って生きるようにしています。
無理やり話をまとめると、日々勉強!!!ってことです。
知らない恐怖に負けないためにも自分の精一杯で学んでいきます。
そして、みんなの学びも知りたいのでぜひお茶しましょう(笑)
いろんな人と関わって話して知って考えて、
過去の自分の間違えに気づいたら、あの時の自分間違ってたわって反省します。過去の発言や行動を書き直すことはできないので、追記するしかないですね。
「人にやさしく」が人生最大かつ最難関の目標なので頑張ります。
行動が変わってくるのはまだ少し時間がかかるかもしれなしけど、常に試行錯誤しながら人間創ってるところなんで、暖かく見守っていただければ幸いです(笑)
なんや、なんの話やったんやーーー
って感じになってしまってたらごめんなさい。
いつもは超絶ポジティブシンキング野郎でやっておりますが、たまにはこんな風に考えるのもどうでしょうか編でしたっ!
次回はおもしろギャグ漫画風でお届けします(嘘)
はっとりんでした。