発達障害の強み
「佐賀のがばいばあちゃん」
島田洋七の自伝で、かなり前にヒットした本です。映画化もされてました(いつの間にか)
これ、私の人生を変えた1冊です。
戦後の動乱期、広島に暮らす昭広(島田洋七の本名)少年は母親に女手ひとつで育てられている。働く母を恋しがって、まだ幼い昭広が物騒な夜の盛り場にやってくるため、懸念した母親がだますようにして、佐賀の昭広の祖母・おさのばあちゃん(本名は徳永サノ)の家へ送るところから物語が始まる。
おさのばあちゃんの家は超のつく貧乏であり、ばあちゃんは苦労人だった。だがそれ以上に、明るく逞しい「がばいばあちゃん」であった。奇想天外なアイデア、破天荒な発言で昭広をけむに巻く。最初は驚かされっぱなしだった昭広だが、佐賀にも、学校の友達にも、そしてばあちゃんとの「由緒正しい貧乏」暮らしにも馴染んでいった。
Wikiより
あらすじはこんな感じです。
とある日、高価な食べ物を「食べてみたい」と、欲しがる洋七(孫)に、
祖母は「うまいから高いんじゃない、珍しいから高いんだ」と言います。
珍しいものは、価値が倍増する
このエピソード、「買えないものを、欲しい欲しいと思い続けるより、発想の転換をしよう」というのが島田洋七さんが、伝えたいことです。
それは100も承知です。
それでも
「ちょっと変な人」
「珍しい人」
と評価されてきた私。
自己肯定感は爆上がりです。
珍しいだけで、高いんです。
大事なのでもう一度いいます。
珍しいだけで、価値が高いんです。
本当に、珍しいだけで高いの?価値があるの?
正確には、違います。
珍しくても、不味いものは嫌われます。
珍しくても、有害なものは嫌われます。
でも、
ちょっとだけでも、美味ければ、
珍しいモノの価値は爆上がりです。
ちょっとだけでもキレイならば、
珍しいものの価値は爆上がりです。
宝石も、ガラス片も、キラキラしてきれい。
宝石は大事に宝石箱に仕舞われる。
一方、ガラス片は、不燃ごみとして捨てられる。
その違いは珍しいか、否かだけ。
日本は資本主義社会です。
100円の価格がつくということは100円の価値がある。
1000円の価格がつくということは1000円の価値がある。
つまり、1000円のマンゴーは100円のバナナよりも10倍の方がある。とみんなが思っているということです。
安くて美味いものと、高くて美味いものを食べ比べてみる。
例えば、バナナと宮崎マンゴー
例えば、たらことイクラ
例えば、しめじと松茸
マンゴー好きな人より、バナナが好きなの方が多い。
いくらよりもたらこの方が美味しいと思う。
特に、しめじと松茸に関しては、
しめじの方が美味しいいと思うんです。絶対。
でも、しめじの10倍の価格でも購入する人がいる。
松茸はその希少性(珍しさ)ゆえに必要とされている。
“珍しい特性のうち無害なものは隠さない”が大切です。
全ての特性を隠した私の失敗
「発達障害」という言葉も「特性」という言葉も知らなかった若い私。
でも、「自分がみんなとちがう」「すぐに嫌われる」「私が喋ると、変な空気になる」ということだけ分かってました。
これらを論理的に考えれば
みんなの真似をすれば、普通の人に擬態できる。受け答えの内容も、人の真似をしよう。それならば嫌われない。
が解となります。
そして、実行に移します
友達の多い友人をお手本に、
•喋り方
•喋るスピード
•相槌のタイミング
•歩き方
•メールの返信スピード
•電話の出るタイミング
•口ぐせ
全部まるっとまねしました。
当たり前ですが、超、気味悪がられました。
みんな、ドン引きです。
中学で1回、
高校で1回、
社会人になってから1回、
身近な人の真似っこを3回チャレンジしました。
その試みのせいで、ドン引きされて、無くした友人、めっちゃ多いです(笑)
なんせ、ある日突然、「よし!やるか!」と前触れなくやるので。
珍しい特性のうち、有害な特性だけ隠すのが正解。
無害な特性は、隠さずに置いといた方が良いんですよ。珍しくて無害ならば、価値はある。
南極の氷とか、なんに使うのか?って氷ですけど、珍しいから欲しがる人もいて、一定の価値があります。
有害な特性だけを隠す。
これがいわゆる「療育」というものでしょう。
うちの子も受けてます。
羨ましいから私も一緒に受けたいんですが、断られました。
(療育の公的支援は18歳まで)
中学生の頃の私で言えば
•無害
好奇心旺盛
大声で笑う
理科数学が抜群に得意
赤の他人にもバンバン話しかける。
•有害
自分の意見を押し付ける
正しいことを自信満々に言う
約束を忘れてすっぽかす
人の話に割り込んでマシンガントーク
思い込みで人を責める
•時々無害、時々有害
マシンガントーク(会話泥棒じゃなければよし。でも、誰かが相談したいと思ってるのにマシンガントークで関係ない話をするのは有害)
思いつきで予定を変える
(一緒にいる人が迷惑に思ってるか否か?)
思ったことを口に出す(感謝の言葉はOK、悪口はNG)
思いつきで電話しない(相手が忙しいと迷惑。でも、相手も早く電話が欲しいと思ってることもある)
うーん、もっといっぱいあったんですが、忘れちゃったなぁ……
思い出したら、また追加します。
15年も普通人に擬態してると忘れちゃうものですね。
15年前は、
心掛けるのに苦労してた記憶がありまふ
うっかり地がでて、友人に嫌な思いをさせた記憶もあります。
10年立てば、
大きな失敗をしなくなる、
擬態のプロになってる。
15年立てば、
意識しなくても、息をするように擬態することが
身についてます。
具体的な作業
私は、人と違うことを、紙に一つ一つ書き出しました。
それを片っ端から矯正したのが、友人を多く無くした3回の真似っこチャレンジです(笑)
「佐賀のがばいばあちゃん」を読んだ後は、
紙に書き出した一つ一つを、
「一緒にいる相手が迷惑に思うか?」
「一緒にいる相手が嫌な思いをするか?」
を考えて、Yesの場合は、普通人に擬態。
Noの場合は、ありのままの自分でいることにしました。
言うのは簡単ですが、これってかなり手間のかかる作業です。
「相手がどう思うか?」
相手がADHDならば想像つきますけども、ここで想定する相手は97%を占める定型人。
定型の友人にも、たくさん協力してもらいました。
「こういう状況で、『やめた方がいいよ!』って思うんだけど言って良いものか??」
「そりゃ、ダメでしょ。私なら黙っておく」
「でもさ、それ伝えずに、その子が警察に捕まったら可哀想じゃん?」
「んーそこ気にしちゃう?原付のノーヘルで警察に捕まるなんて1%くらいじゃん、私は気にならないけど」
「1%でも気になってしょうがないけど、黙ってた方がいいか。がんばる。もし、警察に捕まるのが90%だったら言った方がいい?」
「90%なら、私は言う。相手の為に」
「「やめた方がいいよ!」っていう?」
「いや、それは押し付けがましい。主観じゃなくて事実を伝えた方がいい。『警察に捕まらない?って私は心配してるよ、大丈夫?』って言う。」
「それで相手が大丈夫って言ったらどうするの?」
「その時は、『えー心配だよ、辞めた方がいいと思ってるけど、余計なお世話だよね?気をつけてね』って言う。相手も良い大人だし、押し付けはしないかな。90%の根拠も伝えてあげると親切かもね。最近毎日、あの交差点で警察隠れてるよ、とか」
…と、このようなことを、居酒屋やファミレスで延々と討論して、「普通の人はどう言う判断をするのか?」を探ってました。
友人は、「ひろ香がまた変なこと、真剣に悩んでるわ…面白いから、その悩み付き合おう。」というスタンスでした。
特性のうち、どれが有害で、どれが無害なのか?の仕分け作業、
大学生の頃から始めて、社会人になっても、まだやってた記憶あるので、3〜5年ほどかかりました。
途中、挫折して、「ステキ!職場の先輩みたいになりたい」と先輩の仕草をマルっとまねしてた時期もあります。(3回目の真似っこチャレンジ)
有害無害の仕分け作業に積極的に付き合ってくれたのは、心理学に興味ある友人や、哲学好きの友人たちでした。
大多数の友人は、積極的には付き合ってくれないけど、ホットな話題になった時に、
たとえば石田純一が「不倫は文化だ」とテレビで発言して炎上した際、
「不倫がばれた場面で、どうするのが最適解なのかな?」などと私が聞くと、みんなそれぞれの持論を言ってくれました。
社会人になってからは、みんな忙しくなってしまったので、夜な夜な、Yahoo知恵袋や2チャンネルに相談してました。
令和の時代を生きる発達障害の同志に伝えたいこと
また、長々と語ってしまいました。
伝えたいことを3行でまとめてみる。
①珍しいことにはそれだけで価値があるよ。
②相手にとって有害かのジャッジさえ間違えなければ、魅力的な人間になれるよ。友達だってできるし、親友だってできる。
③あなたは大切にされるべき人間。愛される人間。人とは違う苦労も多いけど、人生は階段。一歩のぼると、急に視界が開けて孤独が急に消えることがあるよ。
以上です。