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【コラム】神経発達症は増えている??

ご覧いただき、ありがとうございます。

神経発達症、いわいる発達障がいをお持ちのお子さんは、厚生労働省の調べで全体の6.5%にのぼり、1クラスに1-2人はいる計算になるそうです。

神経発達症は増えている、とよく言われます。

親のしつけがあまくなったからだとか、共働き家庭がおおくなって愛情が十分に注がれていないからだとか、様々なことが言われます。

本当にそうでしょうか。

この論争はどこか見覚えがあります。
わたしは前職、総合病院に勤務しており、認知症の方を支援するチームに属していました。

認知症の方の支援をしている中で、さまざま勉強会などにも参加するのですが、そこでも同じように、
”認知症患者は年々増えている”という情報が必ずと言っていいほど出されます。

高齢化社会を迎え、団塊の世代も高齢者の部類に突入してきています。認知症は年齢を重ねれば重ねるほど発症率は高まり、90歳を超えると2人に1人は発症するともいわれていますので、高齢化が進む日本ではごくごく自然のことかもしれません。

認知症は歴史的に、以前は”痴呆”という卑下するような言いかたで呼ばれていた時代があります。

誰もが自分の母親、父親が痴呆症を患っている、とは表立って言えずに、家の中に隠したり、施設に入れてその存在を外に出さないようにするといった時代です。

認知症にはなりたくない、なったら終わり、などとマイナスなイメージが先行し、おかしいなと思っても受診にいく、または家族が受診に連れていくということが今ほど盛んではありませんでした。

認知症、という言葉が世間に定着し、早期の発見により進行を遅らせることができるようになってきたこと、予防のための活動が盛んにおこなわれるようになったこと、病院でも「ものわすれ外来」などの標榜で、以前より医療へのアクセスが容易になったことなどから、

「あれ、もしかして・・・」

と思った段階で受診につながりやすくなったことからも、隠されていたものが顕在化するようになったことで見かけ上の数字として増えているということが言えるのではないかと思います。

神経発達症に関しても、似たようなことが起きているのではないかと思います。

以前は発達障がい(今も主流はこちらですが・・・)と呼ばれていましたし、診断がつけば特別支援学級や学校に入れられる、働けても作業所などしかない・・・などなど。

最近では、一般の書籍として体験記や解説本、改善するための○○などの本が多数書店にも並びますし、ネット上でも様々な情報が取れるようになりました。

わたしが学生だった頃は、認知症に関する本や神経発達症に関する本は、一般の図書館には取り扱いが少なく、通っていた専門学校の図書館に数冊、といった状況だったと記憶しています。

そのような経緯からも、広く一般に知られるようになったこと、誰もが書籍などで知識を得られるようになったこと、医療などの専門的治療を受けやすくなったこと、障害福祉サービスが拡充して支援を受けやすくなったことなどを背景に、

隠されていた(あるいは隠していた、または気づいていなかった)神経発達症が、顕在化してきている状態

と言えるのではないかと思います。


では、数字が増えている、ということは悪いことなのでしょうか?
逆に数字が減るということや、少なかったことが良いことなのでしょうか?

認知症にしても、神経発達症にしても、その患者数というのはつまり世の中に困り感を抱えている方(本人・家族、またはその関係者や支援者)の数ととらえることができます。

数が増えてきた(顕在化してきた)ということはそれだけ世の中に同じように困り感を抱えた方がいるということと、それを自分の中だけで抱えなくてもいいんだ、誰かに相談していいんだ、共感しあえるひとがいるんだ、というある種の安心感につながっている側面もあるのではないかと感じています。

数が少なかった(隠されていた)時代は、逆を返すと困り感を抱えながらも誰にも相談できない、共感しあえない中で、悶々としんどさを抱え込んでいる閉塞感のある時代だったのではないかと思います。

患者数などで、その時代の良し悪しは決められるものではありません。

そして数の公表自体が悪いわけでもありません。全体に占める割合や、その患者数の増加などに応じて、医療・福祉施策等の比重も変わっていくからです。

わたしたち、一般人や子供たちを間近で支援するものとして、
この”増えている論争”に踊らされることなく、目の前の方を理解し、共感し、支援を続けていくことしかできないんじゃないかな、と感じています。



本日の内容は以上です。

ご覧いただきありがとうございました!

また次回、お楽しみに!

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