「ゆーがらお友達」歌詞を分析してみたら...
「妖怪ウォッチ3スシ」のOPテーマである、
「ゆーがらお友達」。
意味のある部分だけ考察したいと
思います!
(内容は曲の軽快さとは裏腹に何故か酷な堅苦しい文章に
なってしまいました。)
「大切なのは信じることで 与えることではない」
これは過保護な親が子供に「正解」を与えすぎて、
自立心、行動力、決断力が弱まり、
社会不適合者が量産されるという問題を
示唆していると読みました。
あまりに放任主義的な子育てもリスキーですが、
「善意の押し付け」が一番悲惨な状況になるので
皮肉めいた社会です。
特に障害者の親は配慮すべき部分と、
自分で考えさせて行動させる部分の
境界線の引き方が難しく、
こういった地に足付けない弱々しい
木のような人間が増えています。
親自身に気付いて貰うしか
子供が渦に巻き込まれるのを防ぐ方法は
無いのでしょうか。
子供が言っても、相手は
「助けてやってるのに!」と
反発するので、
第三者が介入するしか方法は無さそうです。
しかし、このような家庭では一家がある種
牢獄のような監禁された状態になり、
親自体も外では世間体を気にして
良さげな関係性を演じる部分があるので、
子供が正解を与えられることに甘んじず、
外部にSOSサインを早く出せるかが
鍵になってきそうです。
あとは子ども自身が単独行動を積極的に行い、
自己管理能力を高め、
自分の力で根を張って生きていくしか
ないでしょう。
「幸せの大きさは 自分のサイズが丁度いい」
これは他人の幸せの基準に合わせて、
合わない行動の選択肢を選ぶと、
違和感が生じてかえって不幸な結果になる
ことを表しています。
例えば、ある人にとっては会社で
昇進することが幸福と感じられても、
ある人にとってみれば、昇進は不幸な物と
感じられるかもしれません。
それは、それぞれの人間の経験から
自分の成功パターンを見いだし、
相手にも通用すると思って勝手に
幸せを強要しているだけなので、
周りに合わせずに、己の道だけを
突き進む生き方が理想的でしょう。
相対的孤独を身に沁みて感じるという
別の空虚感は襲ってきますが。
「見上げても 見下ろしても キリがなく ココロが ギクシャクするだけだから」
これは上方比較しても下方比較しても、
他人との劣等感を感じたり、
下の人を見て安心することで
自分の成長が止まってしまうという
問題があることを示唆しています。
人間は他人と比較してしまう
習性があるので、
極力、自分より上の人の長所から
「どこが真似できるか」を考え、
自己成長に繋げられるように
するべきです。
総括
今回は「ゆーがらお友達」の歌詞を分析しました。
僕は「僕も 君も あなたも 彼女も あの人も」
の「あの人」的な扱いを受ける人生に
なるんでしょうね。
忘れ去られて孤独死して、
死後何日か経って蛆虫が集っている状態で
名も知らぬ人に発見され、
土に勝手に埋められるのでしょう。
若くして、そんな断腸の念が浮かび上がります。
ここまで記事を読んでくれて
ありがとうございました!