「解釈一致」という言葉の気持ち悪さについて
最近、新たな感情を覚えたので書き残しておこうと思う。
タイトルの通りである。
「解釈一致」
この言葉に、えも言われぬ気持ち悪さがある。
気持ち悪さを感じている自分に気がついた。
最初に出会ったのは記憶が正しければおそらく=LOVEの「絶対アイドル辞めないで」のコメント欄だったように思う。
一度気づいてしまってからは=LOVEに限らず、様々なYouTubeのコメント欄で目につくようになってしまった。
わかっている人からしたら蛇足だが、この「解釈一致」という言葉について説明しておく。目次から飛ばしてもらっても構わない。
「解釈一致」ってそもそも何?
主にオタク界隈で多用されている言葉で、俺が初めて目にした=LOVEは女性アイドルだが、男性アイドル、アニメ、VTuberなどなど、おそらくオタクカルチャーに属するジャンルのものであれば広く使用されているように思える。
例えばとある人が架空Vtuberアイドルユニット"サンライズ"を推していたとする。
その人は特にその中でも男らしさが売りの"ショウ"を推している。
そんなサンライズからメンバーが浴衣姿のアクリルキーホルダーが発売されることとなった。
ショウは黒の渋い浴衣姿だ。
そんな時「ショウの浴衣が黒とか、解釈一致すぎる〜〜〜」などと言ったりする。している。
つまり、ファンがイメージしているその推しの姿、あるいは「こうなってほしい」「こんな姿が見たい」と願っている姿をMVやグッズなどで運営側がズバッと撃ち抜いてきた時、彼女たちはそれを「解釈一致」と表現する。
さて、ここからは「解釈一致」に対するえも言われぬ嫌悪感について、えも言ってみたいと思う。
なぜ「解釈一致」はキモいのか①「妙に鼻につく」
なんか鼻につく。
この鼻につくがイコール嫌悪感なわけなのだけれども、もう少し掘り下げていくと、なんというか「解釈一致」という言葉を使う人の文章は妙に自慢げに見える。感じる。
会ったこともないし、文章なので実際のところはわからない。無茶苦茶ビクビクと遠慮がちに「解釈一致」と書いている可能性もある。
けれども、妙に活き活きと、まるで自分の手柄のようにスマホをフリックしている姿が目に浮かんでしまう。
その推しを推していることそのものがステータスになっているようにすら見える。
そういうマウンティング的な匂いに嫌悪感を覚えている気がする。
(ちなみに弁明をさせてもらうと、全力で推しを楽しみ、むしゃぶり尽くすことは素晴らしいことだ。だからそれは全く悪いことではない。
が、今回は俺が実際に感じている「解釈一致」という言葉への嫌悪感についての考察なので、遠慮なく文章に残す)
なぜ「解釈一致」はキモいのか②「驕りを感じる」
単純に「解釈一致」というのは「俺とお前の考えがぴったり合ったよな」ということである。
つまるところ「運営さん、私の理想、具現化してくれてありがとね」ということである。
運営とお前、同じ立場にいねえだろ、という話である。
別にどちらが上とか下とかそういう話ではないし「解釈一致」という言葉を使う人が「ついに私の願いを叶えてくれたか」なんて偉そうに考えているとは限らないのだが、そうは言っても推し文化というのはどこまでも生産者と消費者の関係性からは逃れられないわけだ。
ファンは永久に施しを受ける側であって、施す側ではない。
かと言って、推される側が「施す側だ」というメンタリティでいたとしたらそれはそれで問題だが、なんにせよ「施される側である」という自覚を互いに持ち合うことが健全な関係性であるように思う。
にも関わらず「解釈一致」という言葉からは、そんな作り手と同じ立場に立とうとする意思を感じてしまう。
俺がニンジン農家だったとして、農薬「ウマクナール」を使って新たにニンジンを育てたとする。
消費者から「ウマクナール使い始めたんでしょ!?美味しいよ〜!ウマクナール使った方がいいと思ってたんだよね〜!」と言われたら、褒められてはいるものの「お前農業のこと何も知らねえよな」という気持ちになる気がする。
「解釈一致」という言葉には、そういう他人の敷居に土足感がある。
なぜ「解釈一致」はキモいのか③「日本語が多分変」
単純にムズムズする響きだ。
特別、日本語に造詣が深いわけでもないので、本当に変かどうかは知らない。
だけど「解釈一致」という言葉の響きは、何か日本語が間違っているように思える。
「ヤバい」「ウザい」「キモい」みたいに、間違っているけど、正しい(?)日本語として定着していく感じもしない。
四字熟語然としているのに、全然四字熟語じゃないのもキモいのかもしれない。
「解釈が一致」と「が」が入っていないのがキモいのかもしれない。
鮮明に答えは出ていないが、とにかく日本語がなんかムズムズする。
終わりに
というわけで、これが現状自分が考えられる「解釈一致」という言葉から感じる気持ち悪さの3つの理由である。
これはあくまでなぜ自分が「解釈一致」という言葉に気持ち悪さを感じるのか?という自分自身に対する考察であって、特定の誰かを腐すものではないし、使うのをやめろということを主張したい記事でもない。
もし傷ついた人がいたとすれば、この場を借りて謝罪させてもらいたいが、使いたきゃ勝手に使えばいいと思う。
「解釈一致」という言葉が、オタクにとって極めて便利な言葉であることも理解ができる。
でも「解釈一致」などと4文字に言葉を閉じ込めず、何が素晴らしかったのかを言葉にした方が、作り手もより嬉しいかもしれない。多分。
お読みいただきありがとうございました。 いただいたサポートは新たな初体験に活用させていただきます。