時代は変わるけど
1990年代の音楽はよかった、みんな輝いていた、とか2000年代の歌はいまよりはるかにいい、とかいったことをよく見かける。
たしかに、時代が進むにつれ技術や技能が進歩するとは限らない。ほら、ローマ帝国の水源から都市まで水を送る水道の技術はいまでも未解明だし、ローマンコンクリートによってつくられた建築物は2000年経った今も健在だ。
日本国内でも、機械や計算機(コンピューターのこと)を使わずに精巧に積み上げられた築城技術、手作業で化学繊維を使わずにつくりあげる畳、世界最古の木造建築である法隆寺、単に懐古主義的に「昔の人はすごかった」というのではなく、実に先人たちの身体知、感覚、技術は我々を凌駕している。
もちろん現代人は殺菌という観念があり衛生面では優れているし、宇宙の中に太陽や地球があることを知っているから、天動説が真理であるとはおもわないだろう。そして、コンピュータや通信機械の操作には長けている。
しかし、畢竟、先人たちの知の蓄積を継受しただけだし(もちろん、先人の遺産を継受することは重要なことである)、われわれに便利な機械がどんどんできるたびにわれわれ自身の感覚や思考は鈍麻になっていく場合もあるだろう。
同じようなことが音楽にも言えるだろう。私は音楽のことはほとんどわからないが、1980年くらいには日本の音楽界はかなりの高性能の機材があったと思うし、楽器の奏法、歌唱方法などもかなりの水準に達していたのではないだろうか。
実際に1972年にデビューしたユーミンや1979年デビューのサザンはたんなる懐メロの扱いではなく、現在進行形で2000年以降生まれも魅了する。ユーミンは1954年生まれで桑田は1956年生まれだから、この世代のボリュームの厚さもすごいし、育った時代が与えた影響だってあるかもしれない。
1960年代1970年代はまだ明治生まれの高齢者がいたし、マンションだってせいぜい7階建てくらいのもので、世界にはグローバル化(結局はすべてを飲み込んでいく過度な資本主義だと思う)なんてものはまだ起きてなくて、人が自分の感覚や頭で物事を感じ考えられた時代だったのではないか。
もちろん、その一方で進化しているものもある。たしかにかぐや姫とかキャンディーズの歌もいいが、ミスチルとか宇多田ヒカルの歌はやっぱりかっこいいと思うし、King Gnuもかっこいい。
話を戻すと、結局歌は時代とともに進歩するわけではないから、「この歌は今でも十分通用する」といった言葉は、ずれているかもしれない
そもそも、いまの時代に出される歌が過去よりもいいとは限らないのだ。
ここで私見を言うが、日本の経済は1990年に頂点を迎えた。同様に歌も最高峰に達した。もちろん、バブル経済終焉後、日本社会は衰退したかと言えばそういうわけではない。破壊された自然が回復され、野生のトキやコウノトリなどの恢復も実現されたし、LGBT+のひとたちにとって生きやすい社会に向かっているし、車いすの人のことを考えた街や建物づくりも増えた。同様に、過去の音楽の遺産の上にさらなるアレンジを重ねた歌も多く出された。
しかしながら、先人の積み上げたものと、当時の栄華はやはりすごいのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?