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ノーザークと財産【AC6】

導入

 「飢えを満たす」、「空腹を癒す」といった表現にたいし、違和感を覚える人はいないだろうと思う。
 では、「飢えが満ちる」、「空腹が癒える」という表現はどうだろう。なんだかしっくりこない感じはしないだろうか。日々の生活の中で普段使いするには、ずばりクオリアに反するような感覚をいだきはしないだろうか。

 「飢えを満たす」ためには、当然ながら腕や口を動かさなくてはならないし、飢えを満たすための食糧を手に入れるためには、事前に何らかの労力を支払わなくてはならない。狩猟採集時代であれば狩りをしなくてはならないし、農耕社会においては田畑を耕さなくてはならない。現代では労働市場で労働と賃金を交換しなくてはならない。
 オーソドックスな生活をおくっていれば、「食う」というのは、あるていど強い意思をともなった自発的な行動なので、〈他動詞〉で表現するほうがしっくりくる。

 では、仮にあなたが何らかの理由から体が不自由で、胃袋に直接つながれたチューブからおくられてくる流動食のようなもので、長いこと生活をしているとするならば、「飢えが満ちる」のように、〈自動詞〉で表現されるほうがしっくりくるかもしれない。


ザックリとした目的

 今回は、『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON』に登場する、一人の独立傭兵ノーザークのキャラクター設定を通して、高度に科学技術が発達した(人が科学を高度に発達させた)社会における、「財産」という概念について、人の意思と労力に着目して考察していきたい。
 あらかじめことわっておくが、「ずばりこうだ」という結論はない。なんとなくぼんやりと考えを押し広げていき、最終的に問題提起をして終わりたいと考えている。

ノーザーク / Nosaac
AC:ビタープロミス / BITTER PROMISE
アリーナランク:26/E

星外企業によるルビコン進駐のどさくさに紛れ
一攫千金を求めて密航してきた独立傭兵
ノーザークは自分の金と他人の金を区別しない
独特の経済感覚を備えており
借金を抱えては踏み倒すことを続けている
その甲斐あって彼の機体は常に企業の新製品で
固められており本人はそれを 「信用の拡大」 と嘯いている

 わたしが今作のアーマードコアにおいて、最も気になった人物のひとりであるノーザークのアリーナにおける説明文。表面的なみかたをすれば「単にお金にルーズな詐欺師」のような印象をうけるが、わたしはひと目みたときから、制作者はこのキャラクターを通して作品の世界観を端的に説明したいのだろうな、と感じた。


思考実験

 では、先ほどの「飢えが満ちる」につづき、「お金が貯まる」という表現はどうだろう。案外しっくりくるのではないだろうか。
 自分の体を動かし汗水ながして稼いだお金だ、という強い実感があれば「お金を貯める」という表現をつかいたくなるだろうが、よほど意識していなければ、自然と前者をつかいそうになりはしないだろうか。

 もっというと、世の中には労力を支払わなくても、勝手に増えていくお金というものもある。銀行の利子や、株式の売買によって得られたお金などは、そのひとつだろう。
 では、自ら労力を払って手に入れたわけではない、そのお金は誰のお金だろうか。
 もちろん、これはあくまでも思考実験で、実際に自分で働いて手にしたお金を「元手」にしているのだから、自分の財産だと主張することにはなんの不自然もない。

 では、仮にあなたが”作家”や”漫画家”だとして、AIを用いて”作品”をつくった場合、その著作権は誰に属するのだろうか。もちろん、商業作であれば出版社が著作権を管理することにはなるだろう。仮にこれを個人で管理していて、著作権の使用料によってお金を得たとする。このお金は誰のものだろう。
 また、仮にあなたが”プロゲーマー”だとして、よくできたチートツールを用いて大きな大会で優勝し、優勝賞金と名声を得たとする。そのお金と名声は、あなたの財産といえるだろうか。 


宇宙時代

 今作のアーマードコアは、人類が宇宙に入植した後の世界を描いている。作品世界の中核となる人型兵器ACはもちろん、科学技術が極めて高い水準に達していることは容易に想像できる。
 一方で、物語の舞台となるルビコンⅢは、かつて「アイビスの火」とよばれる大災禍にみまわれた影響で大地は荒廃し、かろうじて生き延びた人たちが、資源採掘や鉄鋼業のようなものを生業としながら、生活している。
 作中登場する「エルカノ」や「BOWS」は、ルビコンⅢ土着の企業だ。

 作中で明言されているわけではないので、これはあくまでもわたしが直感的に感じていることなのだが、ルビコンⅢで暮らす人々と星外の宇宙で暮らす人々との間には科学技術や医療技術をめぐって大きなギャップが存在するだけでなく、おそらくライフスタイルや価値観においても、非常に大きなパラダイムのギャップがあるような気がしてならない。

 ルビコンⅢでは、まだ人間の労働が重宝されており、それに対して対価をはらう人間がいる。
 一方で、星外の宇宙では生活の大部分がオートメーション化されており、人間の労働というものが重要視されていないのではないか、とわたしは勝手に考えている。
 つまり、ルビコンⅢには、まだ「労働市場」が存在する、と。


金は天下のまわり物

 あるミッションで、ノーザークを撃破すると、彼は次のようなセリフを残して果てる。

ある金は活かすべきだ…なぜ理解しない…

 星外からやってきたノーザークにとって、お金というのは個人が「私有財産」というかたちで、「たんす預金」のようにして滞留させるよりも、人類全体の共有財産のようにして流動的に存在させたほうがいいものだ、という認識があるのではないか、という気がする。
 それはある意味で、野生動物や農作物のように、「お金」が人間の意思の外側で自然生成されるようなもの、という感覚に近いのかもしれない。
 そして、もしかしたら、星外企業であるベイラムとアーキバスには彼の思想に同調する人間が一定数いるのかもしれない。だからこそ、彼の搭乗機はこの2つの企業のパーツによって構成されているのだ、とも。
 そもそも、彼は自分の機体をどれくらい自分の意思で操縦していたのだろう。仕事上の「名義」は自分なのだが、もしかしたら戦闘行動のほとんどを戦闘支援AI等を用いたオートパイロットでこなしていたのかもしれない。
 「自分の金と他人の金を区別しない」というのは、奇妙な表現だと思う。「他人の金を大事にしない」のは問題だが、そもそも「自分の金だ」という認識すらないのではないか、とも思ったりする。

 あと、ルビコンⅢに存在するコーラルと、今回テーマにした「お金」を対比させて考えることもできそうな気もするが(「安全弁としてのノーザーク」みたいに)…

 これ以上は深くもぐれないので終わり。 


問題提起

 これは、まだ自分の中で考察が完了していない部分なのだけれど、生活に必要なあらゆるものがあらかじめすべて用意されており、それらを新たに買い足す必要がないような状態において、「お金」とは、どのようなふるまいをするのだろうか。そのような社会における「お金」の立ち位置とは、どのようなものになるのだろうか。

 また、「お金」の価値というのは「労働の対価として(それなり以上の苦労の結果)手に入れるもの」、「誰もが欲しているもの」という一種の物語性によって支えられている側面があるのではないだろうか。かりに、人類の大半が「誰もが気軽にお金を手に入れる」ような状態になれば、人は「お金」に価値をおかなくなるのではないか、という気もするが…


補足

 実をいうと、今回の考察はかなり前から自分の中にあって、ときおりぼんやり考えながら熟成させてきたものではあるのだけれど、もともとわたしが「お金が苦手分野」ということで、これ以上考えても仕方がないな、と思ったので、変なタイミングでのリリースとなった。100日連続投稿の終盤に持ってこようという予定はもともとあったのだけれど。

 今回あつかったテーマは、いずれ有料記事で書く予定(未定)の『有沢友好。のみらいよち』の土台となるテーマであると考えている。100日連続投稿を終えたら、しばらく空白をあけて、来年1月の中旬くらいまでに投稿出来ればと考えている。

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有坂初荷は「箱庭師」
わたしの活動が、あなたの生活の一助になっているのなら、さいわいです。