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植物療法と私 / 夏の日のミチクサ

道端に生える草を食べれるようになりたい。
―― そう思ったのは、十五少年漂流記をみた遠い夏のこと。

万が一、漂流して無人島に着いた時、天変地異が起きた時、子供ながらに「こんなことが起きたら大変だ!」と思う場面はたくさん!
そんな時に食べられる草がわかっていたら安心だと思った私と友人たちは、さっそく食べられる草探しを始めることにしました。

ただ、探すといってもどれが食べられるのかは全く知らない私たち
慎重にコトを進めたい私は「本で調べるのはどう?」と提案したのですが、やる気と勇気が溢れすぎた仲間の一人が「いつも本を持って出かけるのか? 食べれると思ったものを食べるんだ!」と弱気な私を横目に近くにあった草をパッと採って口に入れました。

あまりの味に撃沈する仲間A…(←危険なので絶対にマネしないで下さい)「千里の道も一歩からだよね」と誰かが言って、おとなしく図書館へ向かいました。

司書さんに教えていただき無事に食べられる植物の図鑑を見つけた私たち

心強い相棒を手に入れ、すべての力を得たような気持ちになった私たちは図鑑に載っている草はないか?と、足元ばかりを見ながら家路につきました。

漂流した少年たちに自分を重ね「今、無人島にいるんだ!」ぐらいのテンションで熱心に草花をみながら歩く私たち

見つからない…家まであと少しなのに…
数時間前に仲間Aが熱くなりすぎた現場はもう目の前だ…

諦めかけたその時、ついに念願の食べられる草を見つけたのです!

言うなればスタート地点に咲くピンク色の花をつけた草

「えっ…いつも見てるこれが?」
「ここに生えてるなら、図書館行かなくても見つけられたんじゃ…」
「っていうか、犬の〇〇〇〇かかってそう」
などなど、少し冷静になる私

さっきあんなにオエーッとなったのに、ためらうことなく口に入れるA
この瞬間、恐らく「後悔」や「冷静」という文字はAの辞書にはなかった。

「まずくはないけど、すっぱいな」
少しの沈黙の後、冷静になったA。後悔にも襲われていたことでしょう。

あんなに熱狂していたのに、あっという間に冷めていった私たち
私たちの心模様がもはや夏そのもの
でも、味は気になるので公園の水道で洗ってから食べる。

私たちは夏のこの日、大切な結論を導き出した。
「道草は、よっぽど困った時に食べるものだ。非常食とか日頃からの備えが大切だ」と


あの夏、一緒に道草食べたみんな。特に仲間Aの名誉のために…
向こう見ずなところがあるA。リーダーシップがあり信じた道をまっすぐ突き進む力がある。今では農園を経営して地域の子供たちへ環境保全の大切さを伝えている。

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