「サイエンスとアート その1」〜ロボット算数 図形編〜
算数や数学は、何のために勉強するのだろうか?
幼い頃、ずっと抱いていた疑問である。
それが、大人になるにつれ理解できるようになってきた。
これをもっと早く教えてもらうことはできなかっただろうか。
私たち人間は、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚の五感を通して、言語に置き換えている。
頭で記憶し、理解した言語は、実生活の中でどこまで活用されているのだろう?
心理学者ピアジェは、
頭だけで理解しているのと、体を通して理解しているのでは大きな違いがある。言葉と実体を結びつけて、初めて理解するのではないか。
と説いている。
机上の空論とはよくできた言葉だ。
実情が伴わない議論は何も身にならない。
数がどのように私たちの生活の中で使われているかを空間の中で理解し、初めて自分のものとなる。
例えば、ユークリッド空間概念とは、本来誰もが理解できる概念である。
しかしこれを人に教えるとなると、そう簡単ではない。時間をかける必要がある。
一人一人の思考特性をしっかり観察し、その子がどのように言葉と結びつけていくかを見極めることが重要になってくる。
概念が理解できた後、そのイメージから言葉を作り出していけば良い。
最近の研究で、細胞が脳を操作していることが明らかとなった。私たちは、脳から指令が出て動いているのではない、身体のセンサーが先なのだ。
”プログラミングを学ぶ必要性”とは、
それを通して学ぶことで、子供達はより興味を持ち、理解を深めるきっかけとなるからだ。
武士道や禅には言葉で言い表せんとする領域があるという。身体の動きや、礼儀作法を通してしか、その領域を理解、会得する方法は他にない。言葉で説明できても、身体で感じることができなければ、自分のものにはならないのだ。
様々なことを学び始める小学生は、身体のスペックを高めることが最重要。それが物事の理解力を深めることにつながっていくのだ。
国や、文科省、教育委員会の為に教えているのではなく、子供たちの未来のための新たな教育が必要だろう。
子供達は、大人を軽々超えていく。
今の世の中の流れを読み、もっと勇気を持って、子供達を信じてみれないものか。それができれば、彼らはより良い国や文化を築くだろう。
もっといろいろな話や体験を通して、知識を教えるだけではなく、学ぶ楽しさを教えて欲しい。
一方的な教え方で、子供たちに評価を付けるのではなく、求めている知識が身に付くまで、評価すべきは教師自身の方ではないだろうか。
この2020年は、子供たちと一緒に学んでいく1年でも良い気がする。
皆でそれを考えてく場が学校だ。
それが本来の学び場だと私は思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?