[気づき] 💎これからの自分 〜 二つの表現方法
私には二つの表現の仕方がある。
一つ目は、
白紙に自分が思いつくイメージを
作り上げ、
重ね合わせ、
切り取り、
くっつけ、
位置を変えたり、
好きな色をちらばめたりして、
出来上がっていく。
最初から
こういうものを作りたいというゴール設定がなくて、
その時、その時の
流れに沿って、
それを感じながら、
フリーハンドでクリエートしていく。
流れと共に、その形は変わっていく。
その時々のベスト、
わぁ〜ステキって感じられる
そんな形が浮き上がる
ワクワク感
私が小さい時に夢中でやっていたことは、
こんなことだったと思い出す。
私の目の前には
いつも大きなスペースと白い紙があったんだ。
自由な発想で、
思いつくまま、
自分の内的世界を、
そこに表そうとしていた。
何か目の前にある物体を
写しとりたいと思ったことがない。
誰かのテクニックを真似したいということよりも、
自分の中に、自然に思いつくそのイメージを
無意識のままに
形にしたいと思っていたようだ。
そのイメージの色をつけたい。
その時感じられるものを
外に出して
白紙の上に
形にしていく。
私にとって、
無から有を生むとは、
そんなアプローチだったようだ。
ひとしきり、
言葉にならない、
自分の中の世界に没頭して、
つたない手で表現し切った時に、
そのプロセスは終了する。
自分のまわりに飾って、
眺める。
そして、
それが表現された、
言葉にならないものを、
眺め続けて、
またある時、
自分の中で、
そのメッセージをかきかえる流れを
感じた時、
手を加える。
そして、どんどん新しい形になっていく。
そんなプロセス。
自分にとって、
表現とは、
何か有限なものを作り出すというよりかは、
無限なものを、
その時々の流れに応じた
形に表していくという
満足感と楽しさだったのではないだろうか。
今を見つめる。
今の自分に一番正直になる。
これが私が小さい時、一生懸命やってた
クリエーションのやり方。
こういうのが自分にとって、
いちばん満足感がある。
それは自分の内なる世界にある無限を
その時々の形で、紙の上に表現すること。
私は学校で勉強するようになって、このやり方をやめた。
➿ ➿ ➿
二番目に始めたこと
それは、
もっと思考を中心にした見方、
言葉を使って、
新しい光を当てる、
洞察力を表現する。
今見ていることに対して、
違う光を当ててみる、
光の当て方をかえてみるなど、
新しい見方、
自分なりの見方を、
言葉で表現してみる。
大人になって、こういうことをいっぱいやってきた。
それはリサーチや分析につながっていった。
これは発見という意味では面白かったが、
創造の広がりという点では、
とても狭い、息苦しい、型にはまったアプローチで、
自分自身、心から楽しめるものではなかったと
後々気がついた。
でも、
その中でも、
その光を当てることが、
誰かの魂の中にあるメッセージを、
無意識下から引き出して、
意識化させた時に、
輝くその人の魂の喜び、
発見の喜びを見るのは好きだった。
そういう意味で、
私はのちに、
リサーチや分析といった
思考レベルでのアプローチから、
もっと直観ベースで、
光を当てる洞察力へ
自然に流れていった。
俯瞰してみて、
いろんな光を当てることで、
自分も、
そして相手も気づかなかった、
発見や気づきが、
自分にも、
そして相手の癒しにもなっていく、
そのことが
静かな感動を与えて、
目に見えないが確かなつながりを
感じることができ
何がどうということはないのだけれど
なぜか満たされた気持ちになる。
これからの自分は
こんな二つの表現方法で、
自分発信をしていこうと思う。
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