2021年の音楽というかなんというか夜話<その2>

さて、2021年の暮れに書き始めて、2022年の正月の間、さらに一か月半、寝かせてしまった2021年の音楽の話、続きに入ろうと思う。
1月から5月の中旬くらいまでで前回は力尽きていたと思うが、まだ読んでいない方はそちらから辿っていただけると良いだろう。

5月も終わる頃、「緊急事態宣言」の終りが見えてきたところで、なんだか少しずつ何かが前に進みそうな気がしていた。今から思うとまやかしだったかもしれないが。
静かな喧騒の中で何が真っ当で何がそうでないかわからなくなる中、東京事変の「緑酒」は実にストレートに真っ当を射抜いた。

緑酒とは質のいい酒という意味です。
今の日本人は殆ど気付いていないでしょうが、かつての日本人ならば何が旨い酒で、どうやったら質のいい酒になるかを知っていました。
これは酒の銘柄とか、どんな作り方をしているかという話をしてるわけじゃない。
誰と盃を交わし、どんな話をするのかという意味で言っております。
旅に似ていて、どこに行ったかはあまり問題ではない。
誰と行ったか、どんな話をしたのかが重要なわけです。
翻り、世の中に於いて普通でも日々頑張って生きている人間が認められるような新しい社会を作りましょうと事変は叫んでいます。
真っ当に清廉潔白に頑張った後のお酒だから旨いのです。
誰かを騙したり傷つけた後のお酒はまずいのです。
旨い酒を飲むために、私たちは正しく、美しく生きていかなければならないのです。
それが嘗ての日本人であり、そこに戻るべきだと私も思うのです。

O.A.G. Spenglerさんによる動画コメントより

そんな「真っ当」を頭ではわかっていつつ、年齢を重ねていくと比例して、興味関心や目を向けるべき要素の裾野が広くなりながら、目前の日々を過ごすことに注力してしまい、いつの間にか語るためのことばを失ってしまった感がこの閉じた状態も手伝って自身の中を充満する。
仕事する、飯食う、インターネット見る、寝る、散歩する、おやつ食べる、寝る、配信見る、風呂入る、寝る…閉じた行為の繰り返しが自分を淀ませていた1年であった。
そんな中2019年11月にイチベレ・ズヴァルギが日本の音楽家と楽団を組んで演奏した「Orquestra Familia do Japao」の音源がリリースされた。メロディもリズムもそれぞれがのびのびと、ゆえに統制が取れていないようにみえるのにものすごく整って聞こえてくる不思議さ(言葉選びが不適切かもしれないが、悪口を言っているわけではない)が音楽の中にあり、私を困惑させる。でも、心地よくでも惹きつけて耳が離れないという特異な音楽体験をさせてくれて、淀んだ心に清らかな流れを取り戻させてくれて、いい意味でとんでもないところに連れて行かれた気持ちになる。
烏頭の大和田千弘さんやたをやめオルケスタの沼尾木綿香さん(ブラジル音楽好きなので、このプロジェクトへの参加は念願だったみたいです)が参加してるのも個人的には推しポイント。

清らかな流れといえば、さわやかな風のことも触れておきたい。今年J-POPをざわつかせた風といえばもう「藤井風」しかないと思うが、新型VEZELとのコラボによる「きらり」はとても爽快なナンバーで、まさに「世界に、あたらしい気分を」もたらしてくれたように思う。
(爽快というワードを出してしまうと新型VEZELというより新型CIVICになってしまうが気にしない。CIVICはe:HEVの登場が楽しみであるが。)
電子ピアノをガンガン言わせて丸の内サディスティックを武骨に弾き語っていた動画のころには全く想像しなかった姿。芯のある彼の音が今後も売れていく、落ち着く、かかわらず楽しみだ。

(下書きを寝かせているうちに公式のCM公開が終わっていたので、非公式の転載動画の掲載ですいません。やはりPVよりCMのほうを推したかったので…)

7月に入っても今年はなんだか夏という感じがするまで時間がかかったような気がする。年初に木村美保さんと大塚望さんのPodcast「チルチルラジオ」、今年の抱負を募集していたので応募したら、メールの通知が壊れていたそうで5月になったけどお二人が回答をくださった。そして私もPodcastの通知が壊れていたので気づいたの7月になってしまった、本当にすいません。やはり皆30代になると健康が気になったり自分の中の基準が変わってきたりすることに、実際なってみて半年たつとやはり納得する…。とにかく、ゆったり聴けるトーク番組なので読者の皆様も是非作業や通勤のおともにおすすめしたい。

大塚望さんはもともと前述の沼尾木綿香さんのユニット「たのしい東京」で存じ上げていたのだが、木村美保さんは実はこのラジオで知った。ジェントルフォレストシスターズとしての活躍も素敵だが、彼女のユニット「こつぶと楽しいお豆たち」では愉快な曲もしっとりとした曲、日本語詞も英語詞もおなじみのナンバーも優しく歌い上げる。新しい作品ももうすぐ出るのかな、まずは「Beans Go Marchin' In」を肩の力を抜いて楽しんでみてほしい。

そろそろ夏っぽくなってきたなと思えば、ついにTOKYO 2020大会を迎えた。新型コロナウイルスによって凍結された「時」の象徴が、このウイルスの感染者数が収束するどころか、まだ見ぬ数字の伸びを見せるというなんとも言い難いタイミングでの解凍。無観客という条件下で、誰もが壁の外からそれを眺めるしかない。
一方で、朝から甲州街道の上りはガラガラの首都高の下を大原までの6km(京王線でいうと芦花公園から代田橋くらい、桜上水で通過待ちしても15分くらいでしょうか)を1時間という見たことのない渋滞を繰り広げ我々を困らせていた。
見える壁、そして見えぬ壁によって隔てられた中での、中空に浮いたような祝祭ではあったが、その様子を毎日テレビは伝えてくれた。そのことが壁の外と内をかろうじてつないでくれていたのかもしれない。たしかに東京にオリンピックがやってきたのだと。良い要素の見つからないニュース項目の後に流れる、嵐の「カイト」が、選手陣の活躍とともに心を照らしてくれていたように思う。

それだけではない、語られるものも、語られずに本人の中だけにしまわれるものもあるが、実のところこの祝祭では、ほんの一部ではあるが、さまざまな美術家や音楽家の「今」をしがらみなく繋げ、示すことができていたようだと聞く。しがらみの多い状況の中で、私のせめてもの祈りが、ほんの少しかもしれないが、通じていたことを忘れないでいたい。

それにしても、羊文学の「マヨイガ」は祈りのような曲だ。Lovelessな世界の中で、自分ではなく「世界を愛してください」という願い。塩塚モエカがこの境地へどうやって至ったのかが気になる夏であった。

結局今回は5月の中旬から8月の終わりまで。次は若干時間軸前後して、今年5本の指に入るくらい衝撃を受けたコンテンツの話をします。それでは。

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