怒りが持続しない
先日久しぶりに怒った。
私は割と心が広い方で(自分で言う)、大体なんでも「まあいいか」と許す。
多少不利益を被ったとしても、相手に自分の価値や意思を認めさせる労力を考えると、「まあいいか」となるのだ。
あまりに不快ならしれっとその場から離れることにしているので、怒ってまで主張すること自体があまりない。
だけど今回、私は怒りで手が震えるという経験をした。
これは生まれて初めてのことだ。
二度ほど、「頭がかーっとなる」という経験はしたことがある。
これがそうか、とちょっと驚いたことを覚えている。
今回も震える手を見て「おお、私は今怒っているのだな」とちょっと感動した。
怒るからには自分の正当性を信じている。
だからまあ、相手がこうしたら良かった、こういう部分が許せない、と考える。
私は分析癖があるので、自分の立場視点と相手立場視点で物事を再検証する。
避けられようのない事故だったのか、避けられる事故だったのか、一人検証会を行う。
私はこの「一人検証会」の時点で大体のことを許すことが出来る。
「仕方のないことだったな」、「まあ自分もこういうところが悪かったな」と自己解決するのだ。
私の人生の主役は私だが、他人の人生の主役はその人である。
その人の行動や思考をねじ伏せてやろうという気はさらさらない。
大体の人間は完全に分かり合えないという前提で生きているので、許すというか、諦める。
それで大体怒りは収まる。
でも、それでも許せなかった場合、私は泣く。
今回も泣いた。
「じゃあどうしろって言うんだ」と世の理不尽を嘆く。
もう怒りの感情は、悲しみやむなしさとして変換されてしまうのである。
このように、私は怒りを継続できない。
その一瞬沸騰したとしても、少し経てば悲しくなる。
そもそも私の感情は、大きく動いたらすぐに涙に繋がるようになっている。
感動しても、嬉しくても、悲しくても、切なくても泣く。
どの感情もぐん、と伸びきり、メーターを振り切った時点で涙に変わる。
泣きたくて泣くんじゃないけど、勝手に泣いて、勝手に鎮まる。
溢れそうな感情を物理的に涙にして体外に排出する仕組みになっているのだ。
そう聞くと、なんかすごいハイテクみたいじゃない?
問題は泣き顔がこれっぽっちも可愛くないこと。
可愛い女子が可憐にこぼす涙と違うの。
ぐわっと顔を歪めて、アイメイク全滅してやる涙なの。
泣き終わったとき、パンダみたいになってるの。
さっきまでマスカラだった黒い破片があちこちに付いてて、目は赤くて、顔は腫れてて、「戦った後」みたいになるのよ。
今ちょっと鏡見たくない。
だけど見ないわけにもいかないよね。ふふふ。
私が今願うのは、世の化粧品がもっと涙に強くなりますようにというただそれだけだ。
もしくは自分が可愛い涙を流せるようになること。
どちらも自力での改善が難しそうで途方に暮れている。
はあ。世の中って厳しい。
最後まで読んでいただいてありがごうございました。
次回以降もお付き合いいただけると嬉しいです。
それではー。
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