【2部6章感想】なぜ妖精はクズなのか

大好評のまま結末を迎えた2部6章アヴァロン・ル・フェ。
しかしストーリーが好評であったのにも関わらず、その世界の主役であった妖精たちへの印象は好ましいものではなかった。ネット上では「クズすぎる」「やはり滅ぼすべきでは?」「想像以上に糞」などなど、散々な感想が立ち並んでいる。
実際、妖精たちの生き様は見事にクズであった。そもそもの成り立ちからして星が滅びる一大事に仕事をサボったが故である。保身のために嘘を重ね、相手を裏切り、悪びれもしない。うん、クズである。
だがしかし。彼らのことをただ『クズ』だと切り捨ててしまって良いものだろうか?立場や時代が変われば価値観など一変するものである。という訳で、なぜ妖精はクズであったのか。現代日本人の筆者(私)の視点から、妖精について考察してみよう。


なにを以ってクズとするか

そもそも『クズ』とはどんなヤツの事をいうのか?卑劣、残酷、下衆。概ね皆、道徳や倫理観、モラルのない輩を指して『クズ』と呼んでいるのではないだろうか。
要は『人として正しい行動』が出来ないヤツだ。嘘をついてはいけません、約束や決まりを守りましょう、差別や偏見はいけません、相手を思いやりましょう。子供の頃に学ぶ、当たり前とすら言える価値観である。

そういう意味では確かに妖精たちはクズである。では、なぜ妖精にはそういった価値観がないのだろうか。


なぜクズのままでいられたのか

そもそもなぜ道徳は生まれるのか。
例えば、『人を殺してはいけません』。当然である、しかし「なぜ?」と聞かれると説明するのは難しい。人の一生は一度きりで取り返しがつかないから、だろうか?宗派によっては神様に与えられたものだから、なんて答えもあるだろう。
……お気付きだろうか。そう、妖精たちにとってはそのどちらも的外れな返答なのだ。アイツらは死んでも次代として生まれ変わる。神様に至っては存在しない、というか殺めたのはヤツらの先祖だ。

私たちの言う道徳や倫理観とは、“人間”という種のためのルールである。
国や時代、立場が変われば価値観は変わる、なんてレベルじゃない。妖精たちとは根本的に“違う”のだ。


妖精はクズのままなのか

では、妖精と私たちは一生分かり合えないのか?そうではないはずだ。私たちだって今の価値観は経験や学びから得た物ではないか。
マイクという妖精がいた。彼は“ダビンチ”という友との別れを、相手を尊重して見送った。レッドラ・ビットという妖精がいた。自らの行いが惨劇の一端を担った事に心を痛め、“今できる最善”に命を賭けた。

妖精國には善悪の価値観がない。秩序を求める心がない。宗教などの教えに基づく道徳がない。日本で言えば神道や武士道、ブリテンならば騎士道なんてものが生まれ得ない。
ただ、“それだけ”なのだ。彼らに人の価値観で言う『クズ』の自覚はない、ある訳もない。異聞帯、異聞世界という閉じた世界ではそういった価値観が発展しなかっただけなのだ。

汎人類史においては騎士道なんて価値観で『人の王』擁する人間たちにブリテン島を追われ、今度こそと自ら築いたブリテンではその真逆の無秩序に斃れたモルガン。
彼女は最後にモノローグで私たちに問いかけている。『私の國はどうですか?』と。
私たちはこの問いに、何と答えようか。
彼女の國は、そこに生きた妖精たちは、本当にただのクズだったのだろうか。
この考察が、誰かの答えの一助になる事を祈って。





ついでにちょっと予想

各異聞帯には欲求が欠けていた。
LB1では生存欲求が、LB2では安全欲求が、LB3では社会的欲求が、LB4では承認欲求が、LB5では認知欲求が。
そしてこのLB6、ブリテンには審美的欲求がない。善悪や秩序を求める欲がなかった。

という訳で、次の異聞帯の予想である。
LB7、デイビットが担当するほとんど何のヒントもない異聞帯。
私はこの異聞帯には自己実現欲求が欠けていると予想する。つまり、心の充足だ。
『どんな自分になりたいか』『自分らしい生き方をしたい』、おそらくそういった欲のない世界となるだろう。例えば“生まれた時から役割が完全に決まっている”世界とか、“役割など無くただの電池程度”とかどうだろう。後者だとカルデアには非難出来ないのでは……?
どんな世界が待っているのだろう、そしてその後に待つのはどんな結末か。非常に楽しみである。

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