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ハトノス広島講座①-広島陸軍被服支廠の存廃議論から考える「被爆建物を残す理由」が必要な理由-

 私は「広島-原爆」というものを身近なものと感じながら生きてきました。自分の価値観を形作る中での大きな要素として、広島を離れた今でも自分の中に持ち続けています。私の書いて来た戯曲のほとんどは「広島-原爆」を起点にしています。自身を振り返ると、ハトノスの公演もまた、「広島-原爆」の発信なのでしょう。ここまでこれに価値を感じて取組んできたし、それはこれからも変わりません。けれども、その活動を変わらずに、なんてことを言うには、状況が変わってきました。

 ハトノスも公演が無くなりました。現在、辛いことに演劇ができる環境ではないと認識しています。それでも私の中で「広島-原爆」の存在の大きさが変わることはありません。それならば、ハトノスが再び演劇を再開できる時期をただ待つのではなく、演劇とは違う形で、これまでもハトノスが行ってきた発信を続けていこうと考えました。

 前置きが長くなってしまいましたが、「広島-原爆」と今を繋げるために、まずはこの「ハトノス広島講座」なんてものを始めてみます。第一回目に扱うのは「広島陸軍被服支廠」。現在保存と解体の間で大きく揺れているこの建物を巡る議論からは、「原爆を伝える」ということへの焦りと困難、そしてなにより「伝える理由の曖昧さ」が見えてきます。

目次
■1.広島陸軍被服支廠とは
■2.被服支廠を巡る議論―解体か、保存か―
■3.保存を求める「理由」

  ○寄せられたパブリックコメント
  ○「理由」の不在
  ○青木の思考ー被服支廠の保存と「原爆を伝える理由」ー

■1.広島陸軍被服支廠とは

 広島市内、現在の広島大学病院のすぐ近くに赤レンガ張りの巨大な建物がL字型に4棟並んでいる。広島に住む多くの人が見かけたことがあるだろうこの建物が、広島陸軍被服支廠(ししょう)だ。1913年に完成したこの建物では、当時陸軍の軍服や靴、雑貨類の製造がおこなわれており、1945年8月6日、被爆した。今でも道路に面した壁をみてみると、熱か爆風かで窓枠が曲がっているのが確認できる。
 この被服支廠をめぐって、今ひとつの議論が巻き起こっている。

被服支廠窓枠①

■2.被服支廠を巡る議論―解体か、保存か―

 2019年12月、広島県は所有している被服支廠1~3号棟のうち、1号棟の外観を保存し、2,3号棟については解体する方針であることが地元紙から報道された。建物の老朽化が進む中、耐震補強のための予算がかさみ、安全のために建物の解体もやむを得ないという判断だ。やや唐突な感もあったこの発表に、被爆建物の保存を求める声が多く集まった。パブリックコメントなどでも解体に反対する意見が多く寄せられ、広島県知事は2月に原案の先送りを表明、「21年度の事業を構築していく中で、どう扱うかが一つのめどとなる」と述べた。
 解体の方針が3ヵ月で棚上げとなった今回の件からは、被爆建物の保存を望む声が大きかったことが窺える。
 本件の詳細については様々な記事でまとめられている。いくつかの記事をこちらに紹介するので、興味のある方は是非読んで見て欲しい。

 そして、今回は、「解体に反対する意見が多く寄せられた」ことの背景について考えてみる。
 原爆について後世に伝えていくことは大変重要なことであり、被服支廠がその担い手となりうることは間違いがない。しかし、ニュースや県に寄せられたパブリックコメントを見ていると、「なぜ被爆建物を残すのか」について議論が深まっていないことを私は感じている。

■3.保存を求める「理由」

 そもそもなぜ被爆建物は保存される必要があるのだろうか。実は、私の中でも未だ答えの定まらない問いだ。考える材料の一つとして、広島県に寄せられたパブリックコメントの中の被服支廠保存を求める理由を見てみよう。

○寄せられたパブリックコメント

 まず、今回被服支廠の保存を求める人はどのように訴えていたのか見てみよう。以下、広島県による「旧広島陸軍被服支廠に係る安全対策等の対応方針」についてのパブリックコメントを確認してみる。

 まず、県の方針(1棟のみ保存、2棟解体)に対する反対理由は以下のようになっている(複数選択方式)。

・一度解体したら、元には戻らない。(90.4%)
・被爆建物は、金銭に関わらず行政として残すべきである。(74.5%)
・3棟保存するためであれば、寄附又はふるさと納税などをしても良い。(68.1%)
・金銭の問題であれば、国に求める又は寄付を求めたりすれば良い。(65.8%)
・十分に議論がなされたとは思えない。(63.0%)

また、自由記述欄の意見としては以下のようなものが紹介されている。

被爆建物および歴史的価値を考えた意見
・被爆者が少なくなる中で、被爆建物は長期的に被爆の恐ろしさを無言で伝える物である。
・広島が軍都であったことを示す貴重な歴史的建造物である。
・文化財・世界遺産として整備・保存すべきである。
・築100年以上で建築学的にも貴重な建物である。
費用の観点からの意見
・他都市のレンガ倉庫のように商業施設として整備すれば、集客施設としても活用でき、保存費用も回収できる。
・他の施設より被爆建物の保存に費用をかけるべきである。
検討時間に係る意見
・広域的かつ長期的視点で検討してほしい。
・納得できるよう、時間をかけて議論すべきである。


 次に先ほどのパブリックコメントの中から、「今後旧被服支廠を保存した場合にどのように活用していくのが良いか」に対しての回答を見ていこう。

■複数選択方式
・耐震改修を行い内部にも入れるようにして、平和学習の場などとして活用する。(71.1%)
・耐震改修を行い内部にも入れるようにして、観光資源となるようにして活用できるようにする。(55.0%)
・とりあえず外観保存して、活用策が決まってから耐震改修する。(14.3%)
・外観のみの保存を行い、敷地内に別途トイレ・駐車場などを整備し、もっと人が訪れやすい場所にする。(13.0%)
■自由回答
平和学習の場などで活用できる施設にという意見
・原爆に関する絵や詩などを展示し、核や平和について考える場にする。
・原爆資料館の別館として資料の収蔵庫や展示場として活用する。
・耐震改修工事をして、中で平和学習ができる場とする。
・存在自体に価値があり、観光資源にする必要はない。
・トイレや駐車場などの設備を整備し、平和学習が行える場として活用する。
観光施設などの活用とする意見
・他の年で活用されているレンガ倉庫のように、歴史を知る場・観光できる場にする。
・平和博物館など入場料を取れる観光施設として活用する。
・災害対応に必要な機材・食糧等の備蓄倉庫とする。

○「理由」の不在

 ここまで読んで、正直私の頭には?が浮かんでいた。そこには建物の保存を訴える「理由」にあたる部分がほとんど書かれていなかったからである。
特に、明確に理由を問うている選択式回答で上位を占める選択肢がどれも感想レベルのものであることは残念に思う。
 他のニュースなどから補完するに、被爆建物が保存を望まれる背景には、「被爆遺跡が被爆体験の担い手となる」という意識が存在する。特に被爆者の高齢化が「問題」となっている中で、(様々な工事を施したうえでという条件付きではあるが、)人間より長く存在することのできる「建物」が「原爆の体験者」として見られるのは自然なのだろう。被爆者が居なくなることで被爆の「実相」を伝えられる人がいなくなってしまうが、建物はその役割を担いうるという主張がそこにはある。
 これは基本的には広く受け入れられている考えだと認識しているが、それでも私は「理由」としての物足りなさを感じている。被爆の実相とは何だろうか。被爆した建物は「被爆の実相」として何を伝えることに機能するのか。

○青木の思考ー被服支廠の保存と「原爆を伝える理由」ー

 現在の被服支廠は原爆ドームなどもある広島市中心街から少し外れたところに存在する。存在感は大きいものの、足をとめてじっくりと見る人もまた稀であろう。建物自体が明らかに古く、今は使われていないものであるため、窓枠が曲がっていることについても、それ自体への驚きは薄い。
 至極当たり前のことではあるのだが、人と同様に、それが被爆を体験しているかどうかは外見からは分からない。正しい知識・認識をもって初めてそれの被爆体験を知ることができ、そこから学びを得ることができる。

 ここまでのパブリックコメントを見て思う。被爆建物を、それが被爆建物であることだけで価値あるものと捉えてはいないか。被爆建物が重要であるのは、原爆について未来に伝えなければならないからだ。つまり、被服支廠を保存することと、それが原爆を伝えることにどのように機能するか考えることはセットである。そして、その活用方法はとてつもなく難しい。難しいからこそ、それを考えるためには「なぜ原爆を伝えなければならないか」と向き合わなければならない。そうでなければ、パブリックコメントのような抽象度の高い意見にとどまってしまう。

 「平和の大切さを伝える」となれば抽象度は高くなってしまうのだ。なぜなら、「平和」自体の抽象度がそもそも高いから。それでも、そのままにしてしまったら、いつまでたっても「広島-原爆」は「平和のシンボル」としてしか機能しなくなる。それは結構もったいない。「広島-原爆」の中で多くの人が流した涙は、シンボルとして輝く以上に、今の世界で流れ落ちる涙を受け止めるものであってほしいと私は思う。

 現在も感染症の拡大で多くの日常が壊れている。ただ平和のシンボルでしかないのであれば、無力だ。けれども違う。日常が崩れる中で生活が安定しない人に対しての補償がいかに重要であるか。その補償がないことで人の人生がどうなるのか。噂に支配され、人が人に寛容になれなくなった時何が起こるのか。他国を憎み、憎まれるとは何なのか。「広島-原爆」は教えてくれる。

 そんな抽象度の高い夢を見続けるために、ハトノスはこれからも広島をまなざしつづける。不安で人が死んでしまわないために。無思考な暴力で人が人を傷つけ、殺してしまわないように。

被服支廠外壁②

 今の被服支廠を今のまま残しても、その「古さ」に「原爆」が飲み込まれてしまうのが怖い。朽ち果てつつあるこの建物に「原爆」を投影することで原爆も過去のものとなってしまいはしないか。そうなってしまうのであれば、原爆の記憶を遠くに持っていくように作用してしまうのであれば、被服支廠を残しても意味がない。だからこそ、被爆建物の保存を願ってしまうむき出しの直感に足りないものが何か、考える必要がある。


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