松本山雅と出会った日 前編
この文章には2014年の9月に初めて松本を訪れ、松本山雅の試合を見たときのことが綴られている。
それは、ブラジルワールドカップへの1ヶ月の滞在を終え、ようやく日常が戻り、FC東京では覚醒した武藤嘉紀が無双の活躍をしている頃であった。
全国各地のJリーグのホームタウンを回って、そこで感じたことを一冊の本にまとめようという企画があり、その中の一節として松本のことも書こうと思っていた。しかし、Jリーグをどう描くのかについて、なかなか結論がつかず、力のある記事はいくつか書けていたのだが、一冊の本としてまとめるには弱い状態であった。
これは、編集の木瀬さんを始め、サッカー界の内外を問わず、誰に相談しても解決ができなかった問題であった。どうしたらいいのか。ずっと塩漬けになっている原稿を時折眺めながらも突破口が見いだせずにいた。
そんな折にnoteで書いたハリルホジッチ解任についての記事がとんでもなくヒットしたこともあって、どうせ塩漬けなのだからnoteに出してしまうのもいいのではないかと考えた。
とはいえ、4年も前の記事を今更出す必然性は特にないため、後回しになっていた。でも、今日、若干の手直しをしながら公開することにした。なぜなら今日は松本に行く日だからだ。明治安田生命の社内誌「MYエージェント倶楽部」の連載が、スタジアム観戦企画となったため、松本に行けることになった。
せっかく松本に行くのだから、松本の記事を出そう。帰ってから出すのでもいいのだが、頭が混乱するので、到着する前に書き上げたい。そう思い、地元の駅で綴り始め、そろそろ新宿に到着する。
あずさの中で書き終えて、松本駅で公開ボタンを押すというのがロマンチックな展開なのだが、さてうまくいくだろうか。
これは、松本山雅に出会ったときの物語。今読み返すと、文章も下手だし何だか子供みたいで正直言って恥ずかしいところがあるのだが、細々とした修正のみにとどめてそのまま公開することにする。
東京から松本へ
いつしか、お酒に飲まれなくなっていた。
酒は酒であり、自分は自分という風に、境界線を引けるようになったのだ。しかし、この日は、駄目だった。大いに酔った。酔いに酔った。
2014年9月27日、味の素スタジアム。
FC東京対柏レイソルの試合を観戦。
柏レイソルとは3月に行われた開幕戦も戦っていた。あの時は何とか引き分けに持ち込んだものの、並々ならぬ強いチームだと感じらさせられたものだ。
しかし、この日は、FC東京が4-0と快勝したのである。
お気に入りの新人FW武藤嘉紀と、胸板の厚い助っ人エドゥーが2ゴールずつ決めての大勝利であった。これでFC東京は、14試合連続で負けなしとなった。最高に気分が良く、浴びるように飲んでしまった。
そして、記憶も虚ろなまま自宅へと戻り、にやけながら眠りについた。
松本へと向かったのは、その翌日であった。
そもそも松本のことはよく知らなかった。
長野県にある小さな地方都市で、松本山雅FCというチームがあることをうっすら知っていた程度であった。
どういうわけか松本山雅のホームスタジアムであるアルウィンに行くことを勧められることが結構な頻度であった。最初に勧めてくれたのは、FC東京のサポーター仲間、通称ソシオさんであった。
「アルウィンには行った方がいいですよ。本当にこれがJ2なのと思わされる雰囲気もそうですし、夏の高原で夕日に染まった山々の稜線を眺めつつ、涼しい風を浴びながらの観戦は最高です。」
ソシオさんは、東京サポらしい斜めからの視点を持ったサポーターで、こんなに率直に何かを褒めることは珍しかった。
松本山雅やアルウィンについて語り出すと、言葉が詩情を帯びてくるのはソシオさんだけではなかった。10年、20年と自分のクラブを応援し続けてきたサポーターが、他所のクラブについて、うっとりとした目で語っているのである。
Jリーグを初観戦して、サポーター達のうごめく特殊な文化圏へと突入してから1年も経っていなかったのだが、それがどれだけ異様なことかを察知することは出来た。
長野県松本市は、国宝・松本城を中心とした人口約24万人の小さな観光都市である。そこで、松本山雅FCというクラブが一種のブームになっているらしい。
山歩きを好む女性のことを「山ガール」と呼ぶことが一時期流行ったが、松本山雅に恋をした女性のことを「山雅—る(やまがーる)」と呼ぶ人もいるらしい。
Jリーグの観客の平均年齢は約40歳とされているため、若い観客が集まるのは珍しい現象である。松本に何があるのかはわからないが、みんなが寄ってたかって勧めるので行ってみることにした。
交通手段を調べると、甲府に行くときに乗った「あずさ」を使うのが早いようであった。しかし、その場合交通費は、6000円以上かかってしまう回数券を使ってもう少し安く乗る方法もあったのだが、この時は知らなかった。
高速バスを使えば約3500円で行くことができる。万一渋滞した時には、キックオフに間に合わなくなる危険性もあるが、背に腹は抱えられない。ブラジルワールドカップへと無理をして行ったせいで、家計が燃え上がっているのだ。
二日酔いの朝。
酷い朝。気持ち悪い。胃が重い。
しかし、何とか布団から起き上がる。
手負いのキジのように頼りない足取りで新宿駅に向かう。
そして、松本へと向かう高速バスに何とか滑り込んだ。準備や下調べをあまりしないで観戦に行くのは毎度のことではあるが、今回は特に酷い。すべては飲み過ぎたせい。すべては武藤嘉紀とエドゥーのせいなのだ。
チケットの手配もまだしていなかったが、これについてだけは安心することが出来た。松本山雅サポーターの方から、余ったチケットを譲ってもらうことになっていたのだ。
メールのやり取りをしただけなので、どういう方なのかよくわからないが、サポーター界の名物おじさんであるロック総統やちょんまげ隊のツンさんと知り合いらしい。
バスに揺られて松本駅に到着したのは11時頃。キックオフまで2時間あった。シャトルバス乗り場を探すのに少し迷ったが、何とか乗り込むことが出来た。
運良く座ることができたので、車窓をぼんやりと眺めた。街の中心部を過ぎると田園が広がっている。クラシック音楽でもかけたくなってくる。のどかで気分の良いバスの旅であるが、なかなか着かない。松本駅からはかなり距離があるようだ。30分ほどした後、広々とした公園で降ろされた。
青く透き通った空は高く、風が心地良く吹き抜けていった。
そして、四方にはアルプスの山々がそびえ立っている。山々に囲まれた青空の下を歩くと、すぐにアルウィンへと到着した。
まずは、連絡をしてくれたサポーターを探す必要があった。チケットがないのである。どんな人かなと思いながらゲートの近辺で落ち合うと、30代半ばから40歳くらいと思われる男性が待っていてくれた。
Jリーグが量産している普通のサポーターのおじさんであった。
簡単に挨拶すると、観戦チケットに加えてタオルマフラーまで頂いてしまった。
松本山雅の応援は、タオルマフラーを持っていると参加しやすいのだそうだ。とはいっても、ぼくの座席はメインスタンドの端っこの方だったので、応援はそれほど盛り上がらないだろう。
観客が声を出したり、タオルマフラーを振り回したり、飛び跳ねたりするサポーターが多く見られるエリアは、基本的には自由席であるゴール裏に限られている。スタジアムによっては、ゴール裏ではない場合もあるが、中心地だけが応援し、その周りは座ってのんびり見るものなのだ。
メインやバックのスタンドに座る観客はおとなしく観戦していることが多い。特にチケット代が高いメインスタンドは、上品なお客さんが多い。松本サポーターのおじさんと少し立ち話をした後、メインスタンド側の座席へと歩き始めた。
少し歩くと、ホルスタイン牛を模した白黒柄のエプロンをつけた若い女性に話しかけられた。
「松本山雅牛乳、いかがですか?」
よくわからないが飲んでみた。松本の抜けるように青い空の下で飲んだせいか、非常に美味しく感じられた。やはり高原には牛乳である。松本山雅ブランドをつけた商品を開発しているのだろうか。コンコースを歩き、ゴール裏あたりにさしかかると……
WE NEED JOIN YOU
↓ ↓ ↓
ゴール裏歓迎
※写真があったので後で探してくる。
こんな横断幕が、ゴール裏の入り口に貼られていた。サポーターの意思表示としてはなかなか珍しいものだ。「この先は覚悟のあるものしか入るな」とか「死ぬ気で声を出せ」というような類いの文言を見ることはあるが、ゴール裏のど真ん中に「歓迎」と書いてあるクラブは、そうそうないだろう。
みんなで頑張って声を出して応援しようというよりは、のんびり集まって楽しくやろうというノリなのかもしれない。面白いメッセージだとは思ったが、激しい応援合戦には期待できなそうだ。サポーターは祭りの華。
応援合戦はJリーグの見所の1つなので、正直言って少しがっかりした。
メインスタンドの座席に辿り着く。指定席ではなかったので、決められた範囲内で適当な席を探した。うろうろしていると前から二列目に一つだけ空きがあったので、そこに潜り込むことにした。
席に座ってピッチを眺めていると、とても気持ちがいい。のんびりとした気持ちにさせられた。
これ以上ないほど透き通った青い空、吹き抜ける風、周囲を囲むアルプスの山々。
美しい信州の風景に、アルウィンというサッカー専用スタジアムが包み込まれている。
アルウィンという名称の由来は、アルプスの山々と吹き抜ける風(ウィンド)を組み合わせた造語であると後で知って、見事なまでに名が体を表しているなと感心した。
非常に良い。それは間違いない。しかし、そこまで特別なものだろうかという思いもある。
サッカー専用スタジアムではあるし、景色も雰囲気も素晴らしいのだが、絶対的とは思えない。コンパクトな専用スタジアムは他にもあるし、景色がいいところだってあるだろう。
悪いとは決して言わないが、ぼくにとっては恍惚とするほどではなかった。
それどころか、少し素朴すぎるのではないかと思ったくらいだ。隣に座っているご婦人は、楽しそうにおしゃべりをしながらマスカットをつまんでいた。瑞々しく、実に美味しそうだ。
まるでピクニックだ。実に平和である。小さな地方都市で、J2の試合をのんびりと楽しむ文化ができているというのは素晴らしいことだろうと思う。しかし、ぼくは燃えがるようなものを望んでいたらしい。それは、ブラジルワールドカップでアルゼンチンやコロンビアのサポーターに圧倒され、日本のサッカーを楽しむ文化は、到底及ばないと絶望したことも背景にあった。
そうしていると、遠くアウェー席では札幌サポーターがチャントを歌っているのが聞こえてきた。いつもと同じJリーグ風景だ。
そうぼんやりと思った時であった。
山が動き始めた。
文字通り、山が動き始めたのだ。
短く太鼓の音が響く。
松本山雅!松本山雅!松本山雅!松本山雅!
松本サポーターの応援がはじまった。巨大な声の塊がビリビリと空気を震わせる。とんでもない音圧だ。信じられない。浦和レッズのゴール裏のようだ。
ピクニック気分が瞬時に吹き飛んだ。なんだなんだ。のんびりまったりしているんじゃなかったのか。
松本山雅のゴール裏は広く、十分な傾斜があり、高さもあった。そこを松本山雅のチームカラーである深い緑のユニフォームが埋めている。
ぼくの座席からは下段の方であったため、ゴール裏を見上げる形であったた。そのため、本当に山の斜面のように見えた。
山の斜面を埋める緑の集団が飛び跳ねたり、手を振り上げたり、大小の旗を振り上げたりすることで、山が動いているように見えるのだ。
タンタカ タンタカ タンタカ タンタカ タンタカ……。
緑の斜面から響く太鼓に、力強く手拍子が追従する。そして……。
今日も一つになって
追い求めろ
俺らと
信州松本のフットボールを
行け山雅
その瞬間、恋に落ちた。
アルウィンに響く美しい歌声は、心の奥深くまで一瞬で侵入してきた。
美しい歌声は野太い男の声だけではない。女性の声もはっきりと聞こえてくる。往々にしてチャントというのは、初めて聞いた時は詳細な歌詞まで聴き取れないものである。
しかし、松本山雅のチャントは、一音一音まではっきりと聞き取ることが出来た。男性の声がベースを支え、女性の高音も強く聞こえてくる。こんなにはっきりと女性の声が聞こえることも今まで一度もなかった。
美しい。とても美しい。そして何という迫力だろうか。
これだけ多くの人が、心を一つにして合唱し、何かを応援する場所がサッカーのスタジアム以外のどこにあるというのだろうか。
ああ、こんなところがこの世に存在するなんて。「ゴール裏は誰でも歓迎」という横断幕から、迫力のないバラバラの応援を想像してしまったのだが、とんでもなかった。広いゴール裏の隅から隅まで、ほとんどの人が応援に参加している。
ゴール裏の中心だけではなく、隅から隅までである。信じられない。
そして次の曲は、温かくゆったりとした情緒的なメロディであった。
どんな時でも
俺たちはここにいる
愛を込めて叫ぶ
山雅が好きだから
やめてくれ。そんな歌を歌わないで欲しい。ぼくまで山雅が好きになってしまうじゃないか。いや、もう抗っても無駄なのかもしれない。文句のつけようがない。この一体感、音圧、躍動感すべてが素晴らしい。
ブラジルワールドカップでもこんな光景は見れなかった。いや、むしろ僕が見たのは逆の風景であった。
歌声は、ゴール裏だけではなく、メインスタンドやバックスタンドにも広がっている。ここまで広い範囲からチャントが聞こえてきた記憶はない。
スタンドでは座って静かに見るのが一般的な観客なのだ。
隣のご婦人をふと横目に見ると、ぶどうの入ったタッパーをどこかにしまって、手拍子をしながら歌っていた。綺麗な女性の声で「山雅が好きだから」なんて耳元で歌われたら、誰だってうっとりしてしまうだろう。
選手へのコールが一通り終わり、松本山雅コールが何度か入った直後、アルウィンに轟音がこだました。隣にある松本空港から飛行機が飛び立ったのだ。青すぎるほど青い空を飛行機が切り裂いていく。慌ててカメラを向けて、写真をとった。
飛行機が飛び去るとスタジアムにBGMが流れ、牧歌的な雰囲気が戻ってきた。少し惚けていると、松本山雅サポーターが再び動き始める。
松本山雅の
選ばれし者たちよ
勝利を掴もうぜ
シャララーラララララー
この曲は、THE HIGH-LOWSの「日曜日からの使者」だ。シャラララーラララーという部分と、女性の美しい声の響きがとても素敵だった。
チャントが終わると、「フェアプレーをしましょう」という趣旨のお決まりのアナウンスが流れる。サポーターの応援と、スピーカーから流れるアナウンスが少しも被らない。もしかしたらこれは、クラブとサポーターがうまく連携を取れていることを意味しているのかもしれない。
「コンサドーレ札幌のファン・サポーターの皆様!
本日はアルウィンにたくさんの方に来て頂き、まことにありがとうございます!
この信州松本で、晴天の秋空の下で、両チームのサポーターの力で、試合をより熱くしていきましょう!
それでは……、コンサドーレ札幌のスターティングメンバーを発表します!!」
対戦相手のサポーターに対して、随分と歓迎ムードのアナウンスだなと感じた。それも束の間、低温の薄気味悪い音楽が流れ始める。
これは……。新世紀エヴァンゲリオンに使われている『使徒襲来』である。知らない人のために説明すると「使徒」というのは大まかにいうと、人類を襲撃してくる敵のことである。
アナウンスが女性の声に変わったのだが、作中に登場するオペレーター伊吹マヤのようにハキハキとした口調で選手名と監督名を読み上げていく。面白い演出だ。
選手が入場してくる。松本サポーターは緑のタオルマフラーを眼前に掲げて歌い始めた。
オーオオ オオッオー
オーオオ オオッオー
勝利を目指して さあ行くぞ山雅
走り出せ 松本山雅
掴み取れ 今日の勝利を
試合が始まるまでの時間がこれほど充実しているクラブは、他に見たことがない。もちろん、素晴らしい演出をするクラブもたくさんある。しかし、ここまで精緻に構成された演出は初めてみた。練りに練られている。そして、主演は紛れもなくサポーターであった。このチャントが終わると、「アンコール」のノリで「One Soul!! One Soul!!」の合唱が始まった。
唱える際の手が揃っているのが美しく。音量と音響がとにかく凄まじい。それでいて嫌な感じがしない。相手を威圧するというよりも、味方を支えるというニュアンスが強いからかもしれない。
といっても牧歌的とか、微笑ましいという言葉はあてはまらない。とてつもなく破壊力がある。ここまでの衝撃を味わったのは、浦和レッズや鹿島アントラーズなどのJリーグ草創期からあるクラブを見た時くらいであった。
これがJ2なのだ。世間一般が誰も注目していない2部のリーグで、こんな凄まじいものが見れるなんてことがあるのだろうか。
サッカーは観客が作る。
それは、無観客試合を見たことがある人ならわかることだろう。あんなものは虚しいだけだ。あんなものは二度と見たくない。
サッカーの試合だけなら選手だけがいれば出来る。しかし、サッカー文化はサポーターがいないと作れない。
松本山雅の応援は、偶然作られたものではない。そうなるようにコントロールされている。音響もタイミングも計算されている。松本山雅の応援には知性が感じられるのだ。適当にやった結果、ここまで整うことは絶対にない。
気付くと緑色の選手達がピッチ自陣の中央で円陣を組んでいる。そして、サッと後ろを向くと、放射状に走り出してポジションに付く。
松本山雅! 松本山雅! 松本山雅!
選手が散った直後にコールが入る。芸が細かい。そんなことはどこでもやっていると思うかもしれない。確かにどこでもやっている。しかし、ここまで整わないのだ。もちろん整っているからいいとは一概には言えないが、松本山雅が一気に駆け上がってきた背景には、整然として、迫力があり、参加しやすい応援を作ろうとする何らかの意志を感じた。
試合が始まろうとしている。
続く
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