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サポーターは自由だ。でも時々怒る。その理由。

最近、栃木SCのフロントに加入したえとみほさんが、現場からの感想をツイートしてくれるので、方々で議論が起こっているようだ。

最初に断っておくが、ぼくはえとみほさんの活動を非常にポジティブに捉えていて、心から感謝している。地方クラブに入社して、あれこれと考えながら発信をして議論を巻き起こしてくれるのだ。感謝以外にしようがあるだろうか。

ここではいつぞやのエンブレム問題にも軽く触れるが、どうしてあれに怒る人がいたのかの解説として触れるだけであって、誰が悪いという話ではないことも断っておく。

サポーターとは何ぞや、観客とは何ぞやという議論が巻き起こっているので、ぼくも一言言いたくなったのだ。

まず、サポーター、観客については大原則がある。

観客は自由だ。サポーターも自由だ。誰にも縛られることはない。好きなものを応援することを妨げることは、誰にもできない。


ただし、自分が応援するために他人やクラブに迷惑をかける人はよくない。スタジアムに居残って、サポーターの主張を通すという行動をした場合に、クラブスタッフの人件費や、スタジアムのレンタル費用が増えるようなら、クラブに迷惑をかける行為ということになる。

クラブに何十万とか何百万とかの費用の負担を強いるような行動をした場合には、それは流石にサポーターとは言えない。暴力行為なども同様だ。ファックサインを掲げる行為も、Jリーグがクラブ側にも監督責任があるというジャッジをするのであれば、「いやいや、海外ではこんなの当たり前だから」と中指を立てる輩は、サポート行為をしているとは言い難い。

サポーターは自由だが、クラブや他の人に迷惑をかけてはいけない。もちろん、同じ人間同士が生きているわけだから、摩擦が生じることもある。ただ、それは電車の中でも、近所のゴミ捨て場でも、高速道路のパーキングエリアでも、人が接するところではどこでも起こりえる。

生じた摩擦を解決する際に、大前提としてクラブや他の観客に迷惑をかけないようにしましょう、というリテラシーは持っていないといけない。いやいや、「サポーターは暴れて観客席の椅子を壊すものだ」とか「トルコのサポーターは日本の相撲で座布団を投げるように、椅子を投げるんだ!」とか言われても、ここは日本だからその常識は通用しない。

二つ目の原則。

「クラブや他の観客に迷惑をかけるやつはフーリガン。サポーターではない」

もうこれでほとんどすべてをカバーできるんじゃないだろうかと思う。もちろん、今のやり方ではまずいから新しく変えたいというような人もいるかもしれない。しかし、変える際のプロセスが、他人や社会に迷惑をかけるような方法であった場合にはやはり容認はされがたいだろう。

サポーターとは「クラブにプラスになることをして、マイナスになることをなるだけしない人」ということで大きな定義は出来るが、小さな定義をしようと思った場合には、決してひとつにはならない。

サポーターが依拠するクラブは地域に密着している。そのため、地域によって何がプラスになって何がマイナスになるのかは異なっている。だから、例えば、浦和ではプラスになることが、山口ではマイナスになるということは大いにありえる。

サポーターは試合の日はユニフォームを着て、堂々と歌いながら歩くべきだ。地下鉄の中でもチャントを歌おう!

これは海外では見られる光景だが、日本では苦情が来ることだろう。したがって、回り回ってクラブに迷惑をかけるので、やるべきではない。ただ、試合の日はチャントが町中で聞こえるような未来を描いているなら、そうなるように少しずつ努力していけばいいと思う。

そして、最後に大事なポイントがある。

サポーターの人生には、クラブの歴史が組み込まれていること。

「小学校の時には等々力のスタジアムを駆け回っていた」と語る親愛なるバモちゃんは、今何歳だっけ。多分25歳くらいだったはず。

彼と一緒に等々力を歩いていると次から次へと友達やら、知り合いのおじさんやらが寄ってきて挨拶をしていく。

それはまさしく人生だ。だからこそクラブの歴史は閉じてはいけない。存続させないといけない。人の人生を断裂させてしまうからだ。

人は生まれた場所に愛着を持つ。生まれた場所、過ごした場所は、人生にとって非常に重要なものであることは言うまでもないだろう。

Jリーグは地域密着を掲げている。だから、「Jリーグのクラブ=地域」という構図が目指すゴールになる。もちろん完全には一致はしないが、松本といえば松本山雅を思い出すという状態になるのはそうそう遠い話ではないし、すでにそうなっている。

Jリーグが地域と密着していて、人には生まれた土地、過ごした土地に愛着を持つという性質がある。従って、Jクラブは、人生と密接な関係になる。

だから、クラブやサポーターを批判するという行為は、他人の人生にいちゃもんをつける行為だ。

ぼくは自分がサポーターになった契機について12万字の本を書いた。ブログ記事などもあわえせれば、分量としては4,5冊分の本になるのではないだろうか。

エンブレムを批判するなという問題があって、こちらも議論になったものの、エンブレムというのはクラブの象徴である。

Jクラブの地域密着の目標は、究極的には、サッカーという見世物が全国各地で儲かるようにすることにとどまらず、自分の愛する地域と同じようにクラブも愛することに繋がる。

だから、国旗を燃やされたり、国旗の意匠を馬鹿にされたら怒るのと同様に、エンブレムもいじられると怒るのだ。

いじらないように気をつけなければいけないのはこの3つ。

1.クラブカラー

2.エンブレム

3.ユニフォーム

あそこのユニフォーム、色もださいし、エンブレムも最低。とか言うと、かなり強烈な反応が返ってくることになる。

ユニフォームはただの洋服というよりは、伝統衣装というほうが扱い方としては正しいと思う。

「あんたのクラブは弱いよね。やる気ないよね。降格するんじゃね?フロントも馬鹿だよね」

こう言われても、多少はむかつくが事実だろうし、それは理解している。

でも、例えばこう言われると一気にアイデンティティ闘争になる。

「FC東京って、青赤でしょ。色の取り合わせとしてありえないと思うんだけど、ギラギラして気持ち悪いし、エンブレムもあってないよね。いやー、あんなださいの着れないわ」

いやいや、青赤ほど素晴らしい色の組み合わせはないから!という反論ではなく、俺の人生に土足で入ってくるな!!という気持ちになる。

我々は、青と赤の服を着て、青と赤のグッズを背負い、青と赤のドロンパを愛でて、青と赤のユニフォームを着た戦士のために声を枯らし、時に涙を流し、時には呆れて怒ることもあり、青と赤の風船の振り回したり、青と赤のアクセサリーを偶然見つけるたびに胸をときめかし、「一生青と赤」と宣言して海外へと旅立った若者を一生見守ることを誓い、週末が近づき、青と赤で彩られたスタジアムに向かうときには、次第に周囲に増えていく青と赤の仲間たちを見るたびに小さな安堵と頼もしさを覚える。

青と赤を否定することは、ぼくの日常や、人生に対する挑戦ということになる。あるいはぼくの仲間に対する挑戦でもある。ファッションの問題ではない。人生の問題なのだ。

「洋服の話を話をしただけでどうしてそんなに怒るの!」

「その洋服は、ただの洋服じゃなくて、俺の人生なんだ!!!」

こういったギャップが生まれるのだ。わからない人にはわからないので言ってもしょうがないが、こういう理由で怒っているのは事実なのだ。洋服のデザインではなく生まれ育った地域や、共に過ごしてきた仲間に対する批判に聞こえてしまっているのだ。

もちろん、僕の場合は慣れているのでよくわからずに言っている人に対しては、ブチ切れることはない。知り合いならそれはやめときなーって説諭するだけだ。けど、慣れていない人もいる。

その差は、慣れているかどうかだけで、基本的にはみんな怒る。

巨人ファンに「黒は地味」といっても多分そんなに怒らない。けど、広島サポに「紫は地味」というと結構な割合で苛つかせてしまうと思う。

エンブレムも同様だ。正直自分のクラブのエンブレムなんて詳細に覚えている人はほとんどいないだろう。だけど、エンブレムはクラブの象徴であり、自分の愛着ある地域と結びついているものなので、結構重いものなのだ。

だから、サッカーってめんどくさいねと言われるとその通りなのだが、地域密着していく方向性で行く限りは必ずこうなる。そして、地域密着が進んでいくと面倒な人は増えていく傾向にある。それを排除するのは、根付いたものを排除することになるので、良いのか悪いのかは議論が必要だ。

古くて悪いものもあるし、古くて良いものもある。

地域密着なんかやめて見世物としてやっていくことに特化しようという方針にした場合には、こういう問題は薄くなっていくことだろう。

ただ、もしそうだとしたら、ぼくはあんまり面白さを感じなかったかもしれない。それこそテレビで海外サッカーを見るほうがレベルが高くて面白いという結論になってしまう。

自分の愛する地域の名前を関したクラブが、他の地域のクラブと戦って、結構な頻度で負けるけど、時々は勝って、そのたびに仲間たちと大喜びできる。これがサッカーの特徴だ。

そこを無視してやっていくのももちろん手だけど、Jリーグが掲げた100年構想とは違う流れにはなるし、もう25年間やってきていることなので急に変えるのは簡単ではないだろう。

本来はこういったサッカーのコードは、「一般常識」として知られていないといけないのかと思うし、それが実現した状態がサッカー文化が根づいているという状態なんだろうと思う。

ただ、現状はサッカー文化は根付いてなどいない。一部のサポーターにだけ浸透しているだけだ。まだまだ時間が必要だし、たくさんの衝突、摩擦、そして議論が必要だ。

えとみほさんが出てきてくれたおかげで、議論が巻き起こり、サッカー文化はまた一歩根付く方向へと向かうだろうと思う。これはぼくが初観戦記事を書いていきなりサポーター界隈に参入したときと、現象としては同じことなのだ。

どういう結末になるかはわからないが、これでサッカー文化がまた一つ進む可能性があると考えるならば、喜ばしいことではないだろうか。











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中村慎太郎 西葛西出版のひと
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