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漱石代わりの夏目なつ子 第一話

第一話 吾輩と夏目なつ子

「こんにちわ」
目の前に現れた猫が喋った。
家の庭で洗濯物を取り込んでいる時に、植木の裏からテコテコと歩いてきて姿を現した、見知らぬ黒猫だった。六月の梅雨の晴れ間の夕方のこと。
「猫が喋った」
私はあるがままのことを、ぽつりと呟いた。両親は外出中で、今、家には私の他に誰もいない。
「そうですね。私は猫です」
やけに落ち着いた声。つやのある短毛。誰かにブラッシングされているというよりかは、入念な毛づくろいによるものだろう。顔に、野良が持ち合わせる険がうっすらとある。それでもどこかに気品を感じるのは、眉毛も髭も乱れなく伸び整っているからだろうか。雄なのか雌なのかはわからない。
人語を話す猫とかマジか……私は興味本位で質問をしてみた。
「どうして君は話せるのかな?」
そう訊かれた黒猫は、二本の後ろ足で立った。
「あなたに用があるのです。夏目さん」
私が夏目という姓なのを知った上で、近付いてきたのか。全く知らん人、いや、知らん猫にズバリ苗字を呼ばれると、途端に警戒心も沸いてくるもの。
「え、なんか怖いなあ。君はなに?用ってなに?」
耳の先から尻尾の先まで注意深く観察したが、外見は至って猫である。黒猫は、花壇の淵まで二本足で歩くと、トンと腰をかけた。
「あなたに手伝ってほしくて」
そう言うと、どこから出したのか、チーズかまぼこを左手に持ち、むしゃむしゃと美味しそうに食べ始めた。
「ずいぶんと器用ね。ていうか君は猫だよね?」
黒猫は右手で、食べ終えるまでちょっと待って的なポーズを取ったので、食べ終えるまでちょっと待ってあげた。
これあげますよと、チーズかまぼこのおまけに付いていた〈ちぃかま〉のシールをくれた。ナカマワレという、ゆるキャラのイラストが描いてある。
「私の名前は猫です。あ、吾輩は猫である!」
いやいやそれは小説のタイトルやないかいっ!
って、黒猫があまりにもエッヘンとしたポーズで、吾輩は!とか言うもんだから、とっさにベタなつっこみで言葉を返してしまった。吾輩は猫であるって芥川?いや夏目漱石か。
「あんた今のつっこみ、関西でっか?わしの目に狂いなかったわあ。思った通りの人ですわあ……ああ、すんまへん。コテコテの関西弁にチューニングが合うてしもうたみたいや」と、黒猫は粘度のある関西弁で畳みかけると、今度は、自分の鼻の前で、見えない何かをグリグリと弄り出した。ノブを回すような仕草だ。私には何も見えない。パントマイムなのか?何かがそこにあるのだろうか?
「よしこれで戻った。ったく、ダンタリオンの奴め、ちゃんと機械のメンテナンスはしとけっての」と、ぶつくさ言ってる。
見事なほどに不審な黒猫だ。さっきから謎なことばかり言っていて、クセ強。コミカルで、愛嬌はあるけど、すごくヘンテコ。猫なのに喋るし。この、目の前で首を掻いている不確かな小動物に対して、私の胸の内では、警戒心よりも好奇心のほうがまさってきていた。
「吾輩は猫である。って、あなたリアルに〈あの猫〉本人だったりするんじゃないのお?」
黒猫の不審なノリにテキトーに乗っかってみた。
「そうなんですよお。私、〈あの猫〉なのです。まさか漱石さんが私をモデルに物語を書くなんてね。照れちゃうよなあ。吾輩は猫である!えへっ。猫って名前も漱石さんに付けられたんですよ」
相手がノリを返してきた。さらにキャッチボールを続けてみるか。
「その猫さんとやらが、どうしてここに?もしかして、あなた化け猫?」
「遠からず近からず」
黒猫は右手でゴシゴシと顔を洗っていたのをやめ、
「とりあえず居間のほうでお話しましょうか。さあどうぞ」と、二足歩行でさっさと居間に上がり込んでいった。
ええ、そうしましょうか、
「って、ここはうちの家なんだけど!」

「粗茶ですが」
安いお茶が見つからなかったので、仕方なく戸棚に鎮座していた玉露を入れて出した。
「お構いなく」
黒猫は玉露をひと口、そのおちょぼぐちに含むと、眉間にシワを寄せた。
リビングテーブルの前で悠々と、我が物顔であぐらをかいている。
「とても困ったことがありまして。今回、漱石さん直々の御使命ということで、漱石さんの子孫であるあなたに、お願いに伺った次第で……」
猫が妙な事を話し始めたので、私は反射的に口を開いた。
「ちょっと待って。私は夏目漱石の子孫でもなんでもないんだけど」
黒猫は目をまん丸とさせた。……少し考え込むと、あぐらから正座に座り直し、タブレットのようなものを手品のように一瞬で手元に出現させ、小さな猫の手で、スライドしたりタップしたりと何やら調べ始めた。
「こちらの住所は、東京都新宿区早稲田南町で、あなたは夏目……」
「ここは、神奈川県川崎市川崎区南町で、私の名前は夏目なつ子」
私はこの猫に、自分の生い立ちを、はっきりと説明してあげることにした。
「私が生まれたのは愛知県。両親とも愛知出身。父方の家は代々農民だったそうだし?母も夏目漱石とは縁もゆかりもなんもないはず。祖父母は今も地元で農家やってるしね。残念だけど、夏目違いよ」
両耳をぴくぴくとさせながら私の話を聴いていた黒猫は、タブレットをどこかへ消し飛ばすと、玉露をひと口飲み、ため息をついた。
「…められたか」と、渋い顔。
そのまま、手持ちの玉露をぐいっと一気に飲み干し、空にした湯呑をフローリングの床の上に置いて、正座姿から勢いよく伸び上がり、リビングテーブルの上にぴょこんと乗ると、前足をきちんと揃えて、土下座した。実に見事な姿勢の土下座である。流線型の綺麗なフォルム。芸術点が高い。
「人違いでしたごめんニャさい」
急に猫感を出してきて謝る猫。それにしても……
「(心の声で)いや~猫の土下座って超かわいい~!伸びをしてるポーズとも違うし、ごめん寝とも違う。お手手揃えてこうべを垂れてるの、かわいすぎてたまんない。モフりたい!モフモフしたい!……なんて、なつ子さん今思ってるでしょ?」
って、勝手に私のこころを代弁すな!!
……なんともまあ、掴みどころのない、見当がつかない、食えない猫である。猫らしいといえば猫らしい性格だけど。
そんな黒猫は、すでに土下座を解いていて、テーブルのど真ん中で、二本の後ろ足で悠然と直立していた。もはや人間であるかのように、何かを悟ったかのような余裕に満ちた表情を以って、なつ子を見た。その瞬時、巨大な注射器のようなものを手元に出現させると、
「それじゃ記憶を消させていただきます」と、決め込んだのだ。
黒猫の穏やかでない予期せぬ言動に、なつ子は途端に身を固くさせ、キッチンの方へと後ずさりしていく。
「ちょ、ちょっと待って、それ注射器よね?」
「はい」
「それで何をするの?」
「あなたの記憶を消すのです」
「記憶って、刺すの?どこに刺すの?」
「お尻です」
「お尻はやめて」
「お尻です」
そんな尻問答をしながら、黒猫は的確になつ子を尻ずさりさせ、キッチンのすみへと追い詰めた。
「お尻です」
「お尻はやめてって!わかったわよ。とりあえず話をしましょう、あなたの話をまず訊くから!ね!」
あんなにもでっかい注射器の針でお尻を刺されたらたまったもんじゃない。なつ子は注射が大嫌いであった。子供の頃に予防接種の注射が怖すぎて、病院中を逃げ回ったことがある。注射はひとまず横に置いといて、とりあえず話をしようと、対話の提案をしたつもりだったのだが、
「やってくれるんですか!!やってくれるんですね!ありがたやありがたや。さすがルシファー様!ベルゼブブ様!夏目のなつ子様!」
対話にならない。この黒猫はヤバい奴だ。なつ子はようやく確信した。話を全く訊かない奴は、人だろうが猫だろうが、そもそもヤバい。傍若無人の理性のない獣だ。十六歳になったばかりのなつ子でも、世の理不尽りふじんなることわりをそこそこ体感してきている。このままだと確実にトラブルに巻き込まれる……この黒猫によって。どうにかして何事もなく穏便に話を終わらせて、この御猫様には平和に帰ってもらうしかない。私も平和に戻りたい。が、黒猫はお構いなしに勝手に話を進めてゆく。
「では契約成立ということで、ちょっと親指を出してください。私の親指とくっつけあいましょう。ほうら、猫の肉球とくっつけあうんですよお」
「えへへ肉球かあ。いいよなあ肉球」
猫は魔物である。かわいい魔物である。天使のような魔物である。なつ子は右手の親指を正直に、馬鹿正直に突き出した。
「はい。拇印ぼいん完了です。有難うございました。それでは近いうちに改めて伺いますので、その際にはまた何卒よろしくお願いしますねっと」
肉球はとても柔らかかった。猫っていいよなあ。まあどうせこれは夢だし。
居間から庭へ、そそくさと出てゆく黒猫。四本足で尻尾をピンとおっ立てて、気分良さげな後ろ姿だ。気が付けば、ぽつぽつと雨が降り始めていて、庭木の葉っぱたちが雨の滴りで揺れていた。

なつ子はその夜、思うように眠りに付けずにいた。無理もない。昼間に、言葉を話す自称・漱石の猫と、得体のしれない契約を易々と結んでしまったのだ。あれは夢である。夢だよね?悶々と渦々うずうずとして、中々寝付けなかった。やっとこさ睡眠の入り口に辿り着いた時には、手探りのような浅い眠りの状態。そうして、夢を見始めた。

「ここは、どこ?」
暗い。町中まちなかのようだが、周囲の灯りは少なく、見通しが悪い。
「京都です」
足元の黒猫がそう答えた。その姿が闇に紛れ過ぎていて、闇が喋り出したのかと思い、なつ子は、うわっと声を上げた。
「声が大きいですよ。抑えて」と、黒猫は瞳を青白く光らせた。
辺りを見回す。建ち並ぶ家々の背が低いので、確かに京都のようではあった。が、その背はイメージするよりもさらに一段と低いような気がした。高層ビルのような近代的なものは一切見当たらない。こじんまりとした木造の建物ばかりが連なっている。道路も砂の道である。
ザッザッザッと鈍い音が聞こえてきた。足音のようだ。それらがだんだんと大きくなって、なつ子らへと迫ってくる。
「危ないのでこちらへ」と、黒猫に手招きされ、なつ子は暗がりの小路へと身を隠した。
鎧兜を着た侍のような出で立ちの大集団が列をなし大路を進んでゆく。馬に乗った者もいる。弓や刀を下げ、鉄砲を担いでいる者もいる。ふと、彼らの背中に指してある旗に目が行った。
「あの模様…というか家紋。見覚えがある」
青地の旗には大きな白い花の柄が描かれている。それは、桔梗ききょうの花であった。
「家紋とやらにお詳しいので?」と、黒猫は小声で言った。
「私、歴史好きなの。乙女ゲーとかやるし。それに私、剣道部だから。甲冑姿の武士がこんなにもたくさん集まってるなんて。なんだか血が騒いじゃうよね」
「おお、剣の心得こころえがおありで!?オトメゲーというのはよくわかりませんが、やはりあなたで正解でしたね」
ここは戦国の世のようだ。しかし、夢にしては何もかもがリアルすぎている。家の外壁の木の手触り、足元の砂道を踏みしめた感覚。湿った風が頬を伝う。町からはなんかおじいちゃんちの仏壇の部屋のようなにおいがする。鎧兜の武士たちが歩く硬い音が鼓膜を叩いてくる。
「……なんだかすごい現実味のある夢ね」
この夢の持つ、現実感の質量の多さに、なつ子は頭がクラクラとしてきた。
そんななつ子を見上げ、黒猫は言った。
「これは夢ですが夢ではありませんよ」
その言葉の意味が解らず、なつ子はじっと黒猫を見下ろし返す。
「あなたは今、夢を見ていますが、これは……ここは夢ではないのです」
すると、黒猫は自慢の跳躍力を見せつけるかのように、目の前の町屋の小屋根に、軽々と飛び乗った。そして、なつ子の頭上で続ける。
「時は天正十年六月二日未明。場所は日本、京の本能寺。もうすぐ本能寺の変が起きます。ほら、あそこのお寺で」
黒猫のかわいらしい手が指し示す方向、鎧武者の軍団が向かっている方向に、黒い屋根が見えた。あれが、あの有名な本能寺。
「あなたには漱石さんがやり残したことを代わりにやってもらいます。夏目なつ子さん」

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