地獄の黙示録 ファイナルカット ー謎の魔力で観る者を深淵に引きずり込むー
感動するシーンもなく、物語の展開に大きな起伏があるわけでもない。散りばめられた伏線が、最後に一気に回収されて、見終わった後に圧倒的な快感を覚えるわけでもない。いわゆるアトラクション要素みたいなものがほとんど無いのにも関わらず、不思議な魔力で心を鷲掴みにされる映画が存在する。
僕にとって、そんな映画の一つがこの「地獄の黙示録」という映画。
1979年のオリジナル版が約150分。2001年の特別完全版が約200分。上にリンクを貼った、2019年のファイナルカット版が約180分。
どのバージョンでも2時間を大きく超えている。人間の集中力の限界は90分とも言われており、2時間越えの映画はどうしても途中で気が散ってしまうことも多いのだけれど、この映画は集中力が途切れることもなく、なぜか一気見することができる。「地獄の黙示録」は魔力を放っているとしか言いようがなく、その不思議な力は僕を取り巻いて、画面から目を離すことを許さない・・・。
アメリカ軍の大尉、ウィラードはベトナム戦争に送られるも、待機ばかりで酒を飲む日々が続いている。そんな中、上層部からある極秘任務を言い渡される。それは軍を裏切ったカーツ大佐の暗殺任務。彼はジャングルの奥地で現地人たちを従え、自分の王国を築いているというのだ。ウィラード大尉は任務を達成するため小舟でジャングルを遡っていくが、途中でベトナム戦争の闇に遭遇することになる・・・。
「地獄の黙示録 オリジナル版」は以前観たことがあり、今回は久しぶりにファイナルカット版で再視聴した。ファイナルカット版はいつか観ようと思っていたのだけれど、3時間という長さに躊躇していた。
だが、いざ観てみると・・・やっぱり面白い・・・。
ウィラード大尉がジャングルの奥地に進んでいくにつれて、何か人間が見ることを許されない禁断の領域に迫っていくようなゾクゾク感。自分はこの先に足を踏み入れていいのだろうかと思いながらも目を離すことができない。後半になると哲学的なセリフが増えてきて、ジャングルの深淵に物理的に進むのと同時に、自分の精神の深淵にも入り込んでしまったような感覚。
「あなたって人間は2人いる。人を殺すあなたと、人を愛するあなた。」
「君は考えるか。”真の自由”とは何か。他人の意見にとらわれぬ自由。自分自身からも自由。」
登場人物たちもキャラが立っている。まずは強運の無茶ぶり上司、キルゴア中佐。彼の登場時間20分程度だが、圧倒的な存在感で観る者の記憶に残り続ける。
サーフィンが大好きなキルゴアは、ここがベトナムの戦場なのにも関わらず、波乗りポイントを確保するために敵の拠点を制圧しに行くと言い出す。ワーグナーをBGMに機銃掃射というトリッキーぶりを発揮したのち地上に降り立つと、敵の爆弾が降り注ぐ中、サーフボードを持って波を確認して来いと部下に言い渡す。部下が躊躇していると、
「俺が安全と言ったらここは安全なんだ!」
と、とんでもない理論をかます。
まさに無茶ぶり上司。
爆撃の最中、サーフィンをしているシーンはどこかシュールだ。
また、キルゴアは異常なほどの運を持ち合わせており、なぜか敵の弾は彼のところに一切飛んでこない。まったくの無傷で戦場に堂々と屹立している。
あまりの強運ゆえ、おそらくこれまでの人生で痛い目をみたことがないであろうキルゴア。だから彼は自分の行動にいちいち迷ったりしないし、自分のやりたいことをやりたい放題やる。無茶ぶりはとんでもないけれど、その決断の迷いのなさ、そしてなんだかんだ失敗はしないというあり方は、ある意味組織の上司としては理想の在り方の一つなのかもしれない。プライベートではあまり関わりたくないが・・・。
そんなキルゴアと対照的な人物として登場するのが、ウィラードの目的の人物であるカーツ大佐。カーツ大佐はキルゴアとは真逆の性格で、自らの理想を追求する哲学系僧侶のような男である。
理想の在り方にたどり着くため、38歳という年齢にも関わらず、周りは自分の半分の歳ばかりの空挺部隊を志願。厳しい訓練に耐え抜き、将官になれるほどの候補であったが、出世の先に自分の理想は存在しないと感じ、ついに彼はジャングルの奥に引きこもり、現地人たちと自分の王国を築くに至る。自分の内側にある理想を追求し、自問自答を繰り返してきたであろうカーツの人生。でもカーツの周りの人間たちはそんな彼の心の内側に存在する理想など露知らず、きっと私利私欲のために動いたり、怠けたり、彼の理想とは程遠い行動をとっていたのだろう。
自分の理想と周りの意識の乖離。そのせいで彼の人生は葛藤だらけだったんじゃないか。
ただ突き進むだけで弾が勝手に避けていくキルゴアの人生とは真逆だったに違いない。カーツの人生は弾を自分から、真正面に受け止めにかかっているような人生だったような気がする。
とにかく男らしく、迷いなく突き進むキルゴアを昭和の理想形だとするならば、カーツはすごく令和っぽい感じがする。
たぶん今の若い人たちはカーツに共感を覚える人が多いんじゃないか。男らしくとか、女らしくとか、理想の上司像とか、そういったステレオタイプ的な人物像が良しとされる時代は終わりつつあって、自分のやりたいことを追求して、自分らしく生きるというあり方に憧れを持つ人が今はすごく多い気がする。能力が無いのに年功序列で出世していく上司がいやだ、自分はこうなりたくない、とか、意識の高い人めちゃくちゃいる気がする。
カーツはいろんなことをとにかく考え続けて、自分の理想一本道を突き詰めた結果の最終形態のような人物だ。
カーツ的なあり方というのが今後も増えていく気がする。
それでもキルゴアの存在感すごいけどね。